次男の裕介さんは朝に出勤したかと思えば数日帰ってこない。かと思えば突然昼間に帰宅することがある。忙しい仕事だと理解していても、一体何処で何をしている仕事なのか知らないし、聞いても教えてくれない。
「お帰りなさい! 帽子、お持ちします」
「ああ」
そういって裕介さんは気だるそうに帽子を私に預ける。
「誰かいるのか?」
「平日の昼ですからいませんよ。女将さん達は買い物に出掛けていますし、幸介さんもお出掛けになっています。旦那様は検査の為に先程お出掛けに……」
「では俺とお前だけか」
「そ、そうなりますね……」
その言葉には言葉通りの意味しかなく、そこには何の含みも気持ちもない……それが分かっているのに、ついどきっとしてしまう。
「夜にはまた仕事に行く。まずは食事だな。その後風呂に入る」
「分かりました」
普通風呂は夜に入るものだが、裕介さんが帰って来た時は昼でも沸かさなければならない。こんなことをずっとしていると時々自分は割烹『弥島』の店主としてここに勤めていることを忘れてしまう。それ程にこの弥島家の人達に振り回されるのだ。
(といっても、もう慣れたけどね。裕介さんの場合いつ帰ってくるか分からないし……帰ってくる前に連絡を貰えたら食事やお風呂の支度をしておけるんだけどな……)
「あ、鞄も持ちましょうか?」
「頼む」
渡された鞄の取っ手を持つと、持てないほどではないがずっしりとした重みを感じる。職場近くのホテルで生活していると聞いたが、こんな生活をずっとしていたのだろうか?
「そういえば志栄堂パーラーに新しい洋菓子が出ていたぞ。秋の新作だそうだ」
「本当ですか!? どんな洋菓子だろう? 最近あそこのケーキがとっても……」
「お前の好きそうなケーキだった」
「えっ?」
もちろん深い意味はない。言葉通りの意味だと理解している。ここで調子に乗って私を連れて行ってくれるのかと訊ねれば……
「何故お前を連れて行かないとならないんだ? 幸介に連れて行って貰え」
呆れた顔を私に向ける。
「幸介さんが連れて行ってくれることはないので時間を見付けて行ってみます……夜にはまた出掛けるんですよね。何日分ぐらいの着替えをご用意しましょうか?」
「適当でいい。無くなればまた取りに来る」
「分かりました」
手にした鞄に詰められた着替えを持って洗濯場に行って、その後は風呂の支度をしなければならない。急いで玄関から外に出ようとしたところで引き留められる。
「話しておきたいことがある」
「何でしょうか?」
「外で食事を済ませてこようかと思ったが、お前の手料理が食べたかったので戻った」
「あ、ありがとうございます……」
頭を普段の倍以上回転させ今の台詞の意味を考えてみる。
(つまり、外で食べてきてもよかったが外で食べる食事よりも美味しいと期待して食べずに戻って来た、つまり不味ければ期待を裏切ることになるから、えーっと……つまり……)
「おい、さっさと支度をしろ!」
「は、はいっ……!」
台詞の意味を理解しようとせず、言われたことをそのまま実行出来れば楽なのだが。結局裕介さんにとっての私は料理の上手い女中ということなのだ。それ以上でも以下でもない。
「おい待て!」
戸に手を掛けると、また引き留められる。
「昼食は?」
「まだですが……」
「二人しかいないんだ、一緒に食べないか?」