「……そろそろ出来ました?」
昨日は慣れない家の大掃除でぐったりして床に就いて、開けて新しい年、今日は四方節。ゆっくり過ごしたい所だが、日の出と共に起きて支度するクセがついてしまっている為そうはいかない。最初は恭介さんも同じだと思ったが、お節料理の仕上げに雑煮の仕込みなど、年明けから板場さながらの忙しさで私より早く起きて支度をしていた。
「ちょいとまってろよ。仕上げにこいつを乗せて……っと。よーし完成だ! 見るか?」
「はい、もちろんです!」
毎年恒例の行事のようなものらしく、昨夜から板長と恭介さんで弥島家のお節を作っていた。私の実家では父が毎年祝膳や雑煮を作り、それを家族全員で手伝っていた程度だったから、赤坂割烹店に勤める料理人が作るお節料理に胸を躍らせていた。
「……どうだ?」
「わぁっ……!」
漆塗りの綺麗な重箱のフタを取ると、そこには見事なお節料理がぎっしりと詰められていた。重箱に入れられたお節はそれ程一般的ではないので私も数える程しか見たことは無かったが……
「これが食積(くいつみ)……」
「そうさ。オレ達はそう呼んでるけどな。古い言い方らしいぜ」
「全部手作りなんですよね。凄いなぁ……凄いですね! 食べるのがもったいないくらいです!」
「いやぁ~実は毎年オレもそう思うんだけどよ、あいつらの前に出したらあっという間になくなっちまうんだぜ? ったく……ちょっとは感動しろって。なぁ?」
「そうですね……本当にもったいないくらい綺麗で……」
完成した食積につい見とれてしまう。重箱は先々代の時から使っているものだそうで、店に出せる程の出来に自然とため息が漏れる。
「恭介さんって何でも出来るんですね。凄いなぁ……」
「何でも出来るってワケじゃねーって。出来るのは料理ぐらいで……ま、料理しか能が無いとも言うけどな」
「そんなことないですよ! だってこんなに綺麗な食積が作れるなんて、本当に凄いことだと思いますよ?」
「そ、そっかぁ? 照れるなぁ~っとととと……!」
恭介さんの手の上に載せたお節料理がぐらついたので、慌てて整え事なきを得る。ほっと息を吐いて机の上に置いた。
「ふぅ~……あ、雑煮の仕込みももう終わってっから、あとは餅を焼いて温めるだけさ」
「ありがとうございます。へぇ、雑煮に銀杏を入れるんですね」
思えば弥島家の人達は普段から相当に良い物を食べているはずだ。板長の料理や恭介さんの料理、女将さんやりん子さん達は近くの西洋料理店でよく食べていたらしいし、舌が肥えているのも当たり前で、私の様な基本をろくに学んでいない田舎の家庭料理程度では美味しいとは言ってくれないのも無理はない。
「相手に旨いって言って欲しい気持ちは分かるぜ? オレだって他の料理人だってみんなそーさ。けどあんたは料理人じゃねぇんだからそこまで気負うことねーと思うけどなぁ……」
「それはそうですが……」
「ま、そうは言ってもオレ達だって客との距離が遠いから反応なんて滅多に見られねぇけどさ。だから、あんたが旨そうに食ってる所見てるとすっげー嬉しいんだよ。だって本当に旨そうに食うだろ?」
「あはは……顔や態度に出やすいんですよね。分かりやすいってよく言われますし」
「けどそういうのって大事だと思うぜ。何考えてんだか分からないヤツよか全然いいし、少なくともオレにはその……分かりやすい方が合うっつーか……」
以前ここに来た頃に美味しそうに食べると恭介さんに言われたことがあった。あの時は当たり前のことなのにと思ったものだが、その当たり前の感想ほど大事なのは今ならよく分かる。
「……恭介さん!」
「な、何だ?」
「誰かに褒められる為に頑張ってもいいですよね!」
「ま、まぁ……そだな。オレはそのつもりだし……」
「何の為に頑張っているのかって考えると結局そこに行き着いてしまうんです。でもそれって自分の為に頑張っていることになりませんか?」
「そりゃ考え過ぎだって」
恭介さんはやれやれといった顔で微笑むと食積の横に置いてあった卵焼きをひとつ箸でつまんで私に差し出した。
「ひとつ食ってみるか? 少し多めに作っておいたんだ。……ほい」
「いいんですか? いただきます! ……美味しい~! 冷めてもふわっとしていて……」
その瞬間恭介さんが驚いた顔をして私を見ていたので、直後自分のしたことに気付く。
「あっ、ついそのまま食べてしまって……すみません……」
「あ、い、いや……食わせてやろうと思っていたから別にいいけど……そ、そろそろ雑煮の支度すっか!」
「で、ですね!」
ぎこちない手取りで雑煮を温める。餅を出さなければならないことを思い出し慌てて手を出すと、恭介さんの手とぶつかってしまう。謝ろうと顔を上げると恭介さんは重なった手を握り、そして先程とは違う真剣な眼差しを向けて言った。
「恭介さん……?」
「……誰だって自分の為に頑張ってんだ。実家の為とか色んな理由を言うヤツはいるが、結局の所自分の為なんだぜ。けどそれでいいじゃねーか。あんただけは自分の気持ちに素直でいて欲しいんだ。あっ……と! わ、悪ぃ! つい……」
急いで手を離すが、恭介さんと顔を見合わせて思わず笑ってしまう。
「……ぷっ、何だかさっきから変ですよね、私達」
「だよなぁ、さっきから同じ事ばっかりやって進歩ねぇっつーか……こんな事じゃ三月まであっという間だよな……よーしっ! 出掛けるか!」
「えっ? 何処へ……?」
「初詣だよ初詣! これ食ったら家族みんなで出掛けるだろ? その後二人で行かねぇか? あ、だったら初詣にはならねーか……うーん、そうだ! 何か甘いモンでも食べにいくか?」
「はい、是非!」
「じゃ、決まりな。さっさと雑煮を作っちまおうぜ!」
鼻歌まじりに支度を始める恭介さんを見て、ふと不思議に思い訊ねてみた。
「あの……恭介さん、どうして二人だけで出掛けるんですか?」
「へ……?」
「初詣の後に甘い物、ですよね。それならきくちゃんとりん子さんも……」
「だ、だめだって! ぜってーダメ! ったく……分かれよなぁ……」
「分かれ、って?」
「だからぁ! だから……その……」
「あっ、分かった! 分かりました!」
「な、何だよ?」
「甘い物が沢山食べたい!」
「さーて支度急ぐぞー」
「あれ、外れた……?」
答えは外れたようだが、それでも恭介さんの機嫌は良さそうだった。