オトメイト『終遠のヴィルシュ -ErroR:salvation-』
- 『終遠のヴィルシュ -ErroR:salvation-』前日譚
- ――これは。
- 私があのリコリス・ノワージュの花園で、【彼】と出会いを果たす1年前の物語。
* * *
- 庶民区の一角に存在する、シスター・サロメの運営する養護施設。
そこで育った――【死神】の異名を持ち、人々から恐れられている娘が、私――セレス。
- 今までは街の人の目もあり、
滅多にこの施設から外に出ずお手伝いをしながら隠れるように過ごしていたのだけど。
臨時職員として働くには、どんな仕事や家事もこなす必要があるので、初めて一人きりで買い出しに出かけることになった。
* * *
- ――私が広場に辿り着いた瞬間、空間ごとざわめいた。
- ――【死神】が来た。今すぐにでも消えてくれ、と。
- 「……っ」
- そう言わんばかりの視線が周囲すべてから注がれて……怖く、胸が痛い。
…………そして、悲しい。
- 今私ができる唯一の処世術と言えば――。
- 「…………こんにちは」
- 曖昧な愛想笑い。
瞬間、人々からの嫌悪は忌避へと変化した。
その間にそそくさと、教会の前を早足で通り過ぎていく。
- ……。
- …………。
- 「おや、今ちらりと見えたのは……もしやセレスくんでしょうか?
一人で施設の外に出るとは珍しい……。
ですが、あの様子は――……ふむ」
- 「……はぁ、無力な自分が情けない。
君が俯かずに外を歩ける日が来るよう……。
私という先が短いだけの【大人】に、何か出来ることがあると良いのですが」
* * *
- シスター・サロメ……マムから頼まれたのは、マルシェでの食材の手配とリライバーを生産する国立研究所へ手紙を届けるお使い。
国の中央にある研究所に向かうべく、その途中にある富裕区の広い道を歩いていく。
- 経済的に余裕のある人が住んでいる富裕区の中でも、一際大きい屋敷の前を通りかかったとき――ふわりと。開いていた窓から、薄い布のようなものが私の手元に踊るように落ちてきた。
- 咄嗟に掴んでみた、それは。
- 「…………小説の、原稿?」
- この屋敷の主が書いたものだろうか。薄い紙の中には、軽く読んだだけで心躍るような文字が綴られている。
- (――いけない、勝手に読んだりしたら失礼よね。
でもこんな素敵な物語を書くなんて、いったいここにはどんな人が住んでいるのかしら――)
- 突然見知らぬ女が、こんな大きいお屋敷を訪ねるのも不審がられると思ったので……。
私は門の近くを歩いていた近衛兵の男性に拾った原稿用紙を預け、研究区へと向かった。
- ……。
- …………。
- (よ、よかった。
窓から飛んでいった原稿、誰かが拾ってくれたみたいだ。
あとでジャンに、取りに行ってもらおう)
- ……。
- (でも……拾ってくれた人に、ちゃんとお礼言えなかった。
……遠目からでもよくわかる、綺麗な金色の髪だったなぁ)
* * *
- ――辿り着いた研究区の国立研究所。
その門を守護する警備兵の男性にマムから預かった手紙を託した。
- あまり長居すると邪魔になってしまうので、
短いお礼をしてからすぐにその場を立ち去るべく研究所に背を向ける。
- すると――。
- 「…………?」
- 妙な視線を感じた気がした、が。警備兵の人たちは、既に別の方向へと警戒を向けているし……。
- (気のせい、みたいね)
- マムたちもいい加減心配しているだろうと、私は来た道を戻るべく歩み出した。
- ……。
- …………。
- 「ほう。妙に目立つ髪色の人間がいると思ったら――。
あれが例の【死神】か。
……なるほど、遠目からでもわかるほど辛気臭い小娘だな。
間違っても、俺の近くに置きたくはない存在だ」
* * *
- …………。
- 「また便利屋の二人が何かやったのか?」
- 「子供が溺れてるところを見つけて、助け出したんだってよ!」
- 「助けたって……昨夜の大雨で水路は相当荒れてたぞ?
リライバーになる準備もできてないのに、よく命がけで人助けなんてできるなぁ」
- ……便利屋。
確か庶民区で評判のどんな依頼でも引き受けてくれる【なんでも屋さん】だったはず。
特に困った人たちの依頼は絶対に断らないと評判で、
この国を守る近衛兵たちよりも信頼されていると聞いている。
- (……いいなぁ)
- 私も――。
- (誰かを殺す力じゃなくて、
彼らのように誰かを助ける力があれば……)
- ……あの幸せそうな空気を、私の存在で壊してはいけない。
遠回りを承知で私は路地から施設に帰ることにした。
- ……。
- …………。
- 「……ん?」
- 「どうしたよ、イヴ。急に振り返って」
- 「ヒューゴ。いや、今……誰かの視線を感じたような気がしたんだけど」
- (…………なんだろう。
よくわからないけど、誰かわからなかったことに、すごい落ち込んでる自分がいる。
……知り合い、だったとか? それとも別の――)
- (またって言うのもおかしいけど、
次は話しかけてもらえるといいな。
いったいどんな人が俺を見つめてたんだろう)
* * *
- そうして、私の他人への憧れを抱いた小さな冒険は終わり。
- たくさんの【怖い】と【悲しい】を感じながらも【我が家】へと戻ってきた。
- 「本当にあいつ一人で行かせて大丈夫なのか。今からでも俺が追いかけて――」
- 扉の向こうからは、私の大事な【義兄】がマムと話している声が聞こえてくる。
- (アドルフったら、相変わらず心配性なんだから)
- 彼のどこか焦燥が滲んだ声が、私の【怖かった】の感情を【安堵】へと塗り替えてくれた。
- 扉に手をかけ、やや強めに開け放つ。
- 今度は愛想笑いではなくて家族に向ける、心からの笑みを浮かべて。
帰りを待つ家族に向かって言うべきことは、ただ一つ。
- 「ただいま、戻りました――……!」
- 絶望ばかりに満ちた人生でも、小さな幸福ならば確かにこの場所に在るのだと――
外の世界を見て、私は改めて実感したのだった。