『オ揃イノ簪』
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「わぁ……素敵! これ見てよ、綺麗~!」
楓花ちゃんの簪を買いに優花ちゃんと一緒に付き添い、新橋にある店に入る。店内に入ってすぐに見付けた硝子細工の綺麗な簪を手に取り、優花ちゃんが感嘆の声を上げた。私も楓花ちゃんも一緒にのぞき込むが、私だけはすぐ視線を外す。確かに綺麗な簪だが、私が到底買える値段ではないと分かったからだ。弐人がその簪を見て会話しているのを余所にして店内に売られているものをぐるりと見回した。
(……どれもみんな高いな……あの簪に扇子も草履も、ここにある物は何ひとつ買えないわ。楓花ちゃん達とは住む世界が違うんだろうなぁ)
何やら急に場違いな感じになり、一刻も早く店を出たくなってしまう。私がここにいる意味はない。
「綺麗だけと芝居用にはちょっと……」
「普段使う物としてならいいんじゃない?」
「そうだけど……ねぇ、どう思う?」
楓花ちゃんが私を見て興味が無さそうな素振りを察知するや否や、いきなり距離を詰めて話しかけてきた。
「な、何……?」
「何じゃないでしょ? 興味ないの?」
「無いわけじゃないけど……」
高いから私には買えない、と謂えば済むことなのになかなか謂い出せない。私の暮らしが貧しいことを楓花ちゃん達なら知っているはずだが、それをここで説明するのが恥ずかしかった。
「あっ、ごめんなさい! 私ったら……家の事情なら分かっていたつもりなのよ。見るだけならお金は使わないし……それに今日は私の付き添いでしょ? だから……」
「ううん、いいのよ。ごめんね、気を遣わせちゃって。そうだよね、見るだけならタダだもん」
双子の姉妹と私との距離に引け目を感じすぎていたのかもしれない。気を取り直して商品に手を伸ばそうとした時だった。
「すみません! この簪、いくらですか?」
「幾ら、とは……そこに値は書いてありますが」
「これを参本買いたいから幾らにしてくれるのかなと思って」
「参本?」
店主と優花ちゃんとの会話に思わず反応してしまう。私の様子を見て楓花ちゃんが先ほどの簪を買おうとしていた。しかも私の分も。
「だ、だめよ! そこまで甘えられないわ!」
「いいのよ。支払いは楓花の役目だもん。そうよね?」
「もうっ……別にいいけど。同じ簪を参本ってことは……私達でお揃いの簪を使えるのね!」
「そういうこと。参本買うから幾らになるか聞いているのよ。どうかしら?」
「どうと謂われましても……」
止めるが優花ちゃん達は私の言葉に耳を傾けようとしない。遠慮して謂っているのだろうと思われているのかもしれないが、そうではない。そうではなく……
「……待って!!」
考えがまとまっていなかったが、とにかく弐人の強引な行動を止めることにした。
「どうしたの? 要らないの?」
「要る要らないじゃなくて!」
「じゃあ……私とお揃いは嫌なの……?」
「嫌じゃないけど!」
「特に問題ナシね。気にしなくていいわよ。楓花はね、お金の使い道がないから困っていたのよ」
「困ってないわよ! 勝手に決めないでよね。えっと、それじゃあその参本を……」
「だから待ってよ! その簪は私が買います!」
「えっ? それ本気……?」
「……で、本気じゃなかったんだけどつい、ね……勢いって怖いよねぇ」
「何を謂っているんだか。仕事を頑張って暮らしを切り詰めて、そこまでして欲しい簪だったの?」
晩御飯の時に今日の出来事を母に話す。この頃の母の容態はあまり良くなかったので、寝たきりになることもしばしばあった。家計を支えているのは私の稼ぎなので、これ以上切り詰めるのは正直難しい。
「無理だろうな、私には買えないし無縁な代物だろうな、って考えていたの。簪自体は綺麗で素敵なのよ。最初から諦めて見ていたからそこまでして欲しいかと問われると答えに困るけど……」
母は深いため息をついて呆れた顔をする。謂わんとしていることなら分かる。けれど無理をしてでも欲しいと思いたかったし、あの弐人と同じ物を持ちたかった。あの時は勢いでつい謂ってしまったけれど後悔はない。目の前のことだけに振り回させて暮らすことに少し疲れていたせいもあり、目標を何か持ちたかった。もちろん疲れていたことは母には伏せておく。
「無理をして頑張れば私だって綺麗な簪を買えるってことを証明して見せたかったのよ!」
「誰に?」
「んー……誰だろう……私自身?」
くすりと母は笑うと再び食事を口に運んだ。
それから簪を買う為の節約生活が始まった。これまででも切り詰めていただけに、どこから捻出するのか考える必要があったのだが、どう考えても弐通りの方法しかない。まず母の食事はこれまで通りにして自分の食事を減らすか切り詰める方法と、今よりも遅くまで働いて給金を増やす方法だ。
そうして壱年近くに及ぶ戦いの末、例の簪をやっと購入するに至ることができたのだ。
「ふふっ、これで参人お揃いの簪が持てたわね。やっとこの日が来たのね……!」
「苦労したもん……大事にしなきゃ!」
「その簪、壱年も売れ残っていたってことでしょ? もう少しまけて貰ったら良かったわ!」
「優花ったら。気を遣って取り置きしてくださっていたのよ」
手にした硝子細工は陽の光に当てるとキラキラと輝き、いつまでも見ていられそうな程輝いていた。やっと手に入れた満足感もあったが、使うには勢いと勇気と切っ掛けが必要そうだ。
しかし、結局壱度も使うことなく手放すことになろうとは、この時の私は露程も思っていなかった。