月下の市場の人
「銭を払ってないじゃないか! お代をよこしな!」
おっとりとした男性
「……銭、ですか?」
月下の市場の人
「あんたが今頬張ってる肉包[ロウパオ]の代金だよ!
まさか無いなんて言わないだろうね!?」
おっとりとした男性
「まあ、どうしましょう……。
これは勝手に食べてはいけないものだったのですね」
月下の市場の人
「銭がないっていうのに食べたのか!?
おい! 誰かお役人を呼んでくれ!
こいつは盗人だ!」
ナーヤ
(大変……!)
盗人扱いされているけれど、あの男性は明らかに代金が必要だと知らずに食べてしまっただけの人だ。
もしかしたら私と同じように銭がない村か何かから来たのかもしれない。
そんな彼を他人事だとは思えず、私は慌ててナルの手綱を近くの木にくくりつけると、懐から銭を取り出した。
ナーヤ
「あの! そちらの代金ですが、これで足りますか?」
ルヲが、この王都に来る時があれば馬車でも借りればいいと持たせてくれたものだ。
これがあれば、物が買えると聞いている。
手に乗せて見せると、今にも殴りかかりかかっていたお店の人は、手を止めて、私の手のひらにある銭を見た。
月下の市場の人
「なんだ……連れがいたのか。
早く言っとくれ。
あんたを殴る所だったじゃないか」
お店の人が私の手のひらから、ひったくるように銭を取る。
そして彼の胸ぐらを掴んでいた手を、突き飛ばすように離した。
おっとりとした男性
「わ……」
ナーヤ
「あっ」
よろめいた男性を受け止めようとして、そのままぶつかってしまった。
押されて転びそうになった私の手を、彼が取る。
そして、転ばないようにと彼は私を引き寄せた。
くるりと、舞うようにして。
その瞬間、彼の袖が風を受けて柔らかく翻った。
陽の光りに、淡い色の髪が透けて輝く。
おっとりとした男性
「貴女は――」
長いまつ毛が、二度、三度と瞬かれる。
薄く開いた彼の唇が小さな吐息を漏らした。
飛ぶ鳥のように軽やかな所作に思わず見とれる。
彼は、そんな私の頬に指先を触れさせた。
手荒れを知らない、絹のように滑らかな手のひらが、私の頬をそっと撫でる。
おっとりとした男性
「もしかして貴女は……。
――私の手から飛び去った小鳥でしょうか」
ナーヤ
「え……?」
おっとりとした男性
「懐かしい気がするのです。
何故でしょう……」
切なげに眼差しが細められる。
彼の目を見た瞬間、私にも彼の言わんとする事が分かる気がした。
何故か――懐かしい気がする。
でも、同時に禍根の匂いが掠めた。
“赦してはならない”
そんな声を、聞いた気がして。
ナーヤ
「あの、貴方は……?」
おっとりとした男性
「ああ、申し訳ございません。
先に名乗るべきでしたね」
手を離して、彼が胸に手を当てる。
そして優雅な所作で、私に礼を取った。
青凛
「――名を、青凛と申します。
姓はどうかお聞きにならないで。
ただの青凛、とお呼び下さい」
ナーヤ
「青凛……さん?」
青凛
「はい」
名を呼ぶと、彼は嬉しそうにふわりと笑った。