【黒ノ願イ】

 今日も時計塔広場には多くの人が行き交う。犬の散歩をする人、待ち合わせをする人、近道で通る人。様々な人間が住み、誰一人として同じ人間はいない。私たちに共通することと言えば――呪われているということだろうか。
私たちは当たり前のように呪いにかけられている。番人として働く私も、少し離れたところで時計塔の扉を守っている同僚も、幼馴染の廻螺(エラ)も、たった一人の肉親である弟・()(トラ)も、この場所に住む人間全てが呪われている。まやかしのようにも思える美しいガラスの街。代り映えのない日々。変わらない私の人生。

「実に穏やかだ」

 時計塔の扉の横に立ち、そう呟く。そんな私の独り言を気にする人間など一人もいない。聞かれていたとしてもなんてことはない、すぐに忘れ去られてしまうような独り言だ。
 変化を求めることは悪いことではない。変化が起これば新しい発見もあるだろう。例えば醜い芋虫が美しい蝶へと変化するように。何と素晴らしいことだろうか。その美しさを全ての人間が兼ね備えることが出来れば、世界は今より美しくなる。

「……そんな美しい世界を見てみたいものだ」

 足元のガラスに反射した太陽が眩しく、思わず目を細めた。

▼△▼

「兄貴――!!」
「……泣虎、そんな遠くから叫ばなくても聞こえるよ」
「オレ、せっかちだから」
「それはお前じゃなくてもわかるさ」
「さすが兄貴!」

 純粋すぎる弟に苦笑を零す。どうやら仕事が終わるタイミングを狙って声を掛けてきたらしい。と言っても、一時間程前から泣虎が噴水の縁に腰掛けながら、まだかまだかとこちらを窺っている様子は目に入っていた。泣虎は休日だったのだろう、見慣れた白い服ではなく私服を着ている。

「誰が叫んでるのかと思ったら(リン)(ドウ)を呼ぶ泣虎の声だったんだ」

 声がする方へ振り向けば、そこには私たち兄弟の幼馴染でもある廻螺だった。苦笑いを浮かべている様子からして、相当泣虎の声が響いていたのだろう。

「お、廻螺じゃん」
「廻螺じゃん、じゃないよ泣虎。そんな大きい声で綸燈を呼ぶのはやめた方がいいんじゃない?」
「何で?」
「周りにいる人がびっくりするし、綸燈も恥ずかしいでしょ」
「兄貴、恥ずかしいのか?」
「まあ、正直慣れてしまったというのもあるが……もう少し近くで呼んでもらった方が有難いね」
「ほら」
「次からはやんねーし……」
「そんなに落ち込むことでもないだろう? 家に帰ればどこから呼んだってかまわないさ」
「もう、綸燈は泣虎に甘いんだから~」

 口をとがらせむくれる様子は最年少らしいと思わず微笑んでしまう。一人は血の繋がりはないが、可愛い弟たちには変わりない。

「ねえねえ、二人とも暇ならお茶していこうよ」
「オレ、暇」
「泣虎は暇だと思ってた」
「何でわかんの? 廻螺すげえ」
「泣虎はそのまま大きくなってね」
「おう」
「私もちょうど甘い物が食べたいと思っていたところだ」
「じゃあ決定だね! 僕、ケーキ食べよーっと」
「オレも食おー」

 二人の関心はすでにケーキへと移り、どのケーキが良くて、どれが好きだの嫌いだのと楽しそうに話している。
 この光景がいつまでも変わらなければ良いと思う。それと同時に、全て変わってしまった世界を見たいと望む自分もいる。二律背反とも言える感情が心地良くゆらりゆらりと揺れ動いた。

▼△▼

「綸燈はチーズケーキでしょ? 僕はショートケーキにしようかな」
「オレもショートケーキにする」
「マネっ子だな~泣虎」
「オレは入る前から決めてたし」
「僕も決めてたし」
「ほらほら、どちらも頼んじゃいけない決まりはないんだから喧嘩はやめなさい」
「はーい」
「へーい」

 困った弟たちだと苦笑しながら、店員に頼む。

「なあなあ兄貴」
「うん?」
「この前、オレが採ってきたチョウチョ、飾った?」
「ああ。ちょうど昨日部屋に飾ったところだ」
「コレクターだよね、綸燈って。何種類集まったの?」
「約三十種くらいだね。日本にはもっと多くの蝶がいるが、私たちの行動可能な範囲を考えるとせいぜい透京の外の森までだ」
「そうだよね……」

 透京の外の話となると、廻螺はわかりやすく寂しげな表情を浮かべた。私と泣虎は透京の『(バン)』の人間のため、外へ出る機会もある。しかし、廻螺は身内に外へ出ることを禁じられているため、憧れは増すばかりなのだろう。透京には廻螺のような家庭は多い。呪いのため、いつ死ぬかわからない。だったらせめて大切な家族だけは、と外へ出ることを禁じるというのも頷ける。

「そんな顔すんなよ。外なんかいつでもオレが連れてってやるし」
「うん……ありがとう泣虎。でも我慢するよ。もしかしたら、いつか出るチャンスがあるかもしれないしね」
「ふうん」
「その時は私と一緒に蝶を捕まえてみるかい?」
「うーん、蝶はいいや……」
「おや、それは残念だ」
「だって標本にするんでしょ? なんか可哀想な気がしちゃうというか……」
「確かに標本と聞くと残酷な響きがあるかもしれないね。でも私は蝶の美しさをそのまま残しておきたいんだ。変わらぬ美しさをいつでも見られるように」

 永遠に失われた生と、誕生した永遠の死。その二つを眺めていたい。
 ――死は美しいと思う。例え、それが救いのない孤独だと世界が叫ぼうとも、この歪んだ心は“美しい死”だけが救ってくれるのだから。

「でもさ、透外から取り寄せとか出来るんじゃねえの?」
「もちろん出来る」
「じゃあオレが取り寄せする!」
「いや、いいんだよ泣虎」
「何で??」
「そういうのは自分で捕らないと意味ないからだよ。ね、綸燈?」
「ああ、廻螺の言う通りだ」
「ちぇー」

 兄である私のためにという気持ちは有難い。だが、廻螺のいう通り自分で捕らないと意味がない。私自身で蝶の生を終わらせるところから、全てが始まるのだから。

「この前見た時よりも増えたんだよね?」
「そうだよ」
「じゃあさ、今日見に行ってもいい?」
「もちろんだ。是非私のコレクションに感想を聞かせてほしい」
「オレも言うし」
「もう、泣虎はすぐ張り合わなくていいから……」

▼△▼

 自分の部屋に飾ってある蝶の標本を見せれば、廻螺は目を輝かせながら綺麗だねと呟いた。
 額という狭くも静かな世界に閉じ込められた色とりどりの蝶。整然と並んだ姿がまた美しさを際立たせており、毎日見ている光景だというのにいつ見ても飽きることはない。

「蝶も悪い男に捕まっちゃったよね」
「おや、心外だな。私は標本にしてからも手入れは欠かさず大事にしている。これでもないくらいに」
「そーだそーだ」
「泣虎。グミを食べるのはいいが、その手で標本に触れたら――わかってるね?」
「触るわけねーじゃん。兄貴に怒られたくねーし」
「綸燈が怒るとすごいからね~。怖すぎて死ぬかと思ったよ、僕」
「オレの方が死にそうになったこと何度もあるし」
「え、泣虎も綸燈のこと怒らせることあるの? てっきり綸燈の言う事は何でも聞くから怒られることもないのかと思ってた」
「違うよ、廻螺。正確にはしつけをしていただけだ」
「あー……なるほどね……?」

 なんとなく腑に落ちないといった表情で首を傾げたままの廻螺だったが、自分の中で納得させたのか、泣虎を引き連れ部屋を出て行った。ココアをもらう、という一言を添えて。
 二人が出て行った後、出しっぱなしだった展翅板を片付けようと机を見れば、見慣れないガラスの靴が置いてある。それも左足だけ。
 先程までなかったはずの靴だが、興味をそそられ手に取ってみれば、そこにはメッセージカードがあった。

『綸燈[リンドウ]=ウェステリア 様
    このガラスの靴にあう者が、あなたの願いを叶えるだろう』

「私の願いを――これはなかなか面白い」

 恐らく今私が想像している人物が差出人だろうと思い浮かべながらそっと笑みを零す。何故これを置いていったのかは不明だが、代り映えのない日常がまた少し歪んだような感覚に、胸が期待に震えた。

 
END