【黄ノ願イ】

「君もよくこんな洞窟にいられるな」
「文句があるなら来なきゃいいじゃん。自分だって廃墟の教会にいるくせに」
「中は廃墟じゃない」
「ここだってそうだし」
「ねえ、お前たちは文句言わないと会話できないの?」

 作業場にしている洞窟に()(エン)(ユー)(レン)はあまり来ない。俺が二人の住処に行く頻度に比べたら、という意味になるが。その二人が何故ここに来たかというと、気まぐれ以外の何ものでもない。俺が二人の住処に行く理由と同じだ。用がある場合も当然あるが、用がない場合の方が圧倒的に多い。

「今日は何か菓子はないのか?」
「何? たかりに来たの?」
「いや、黒禰(クロネ)=菓子みたいなものだからな。あると思ったんだが」
「まあ、あるけど」
「あるんじゃん! いちいち面倒なやり取り挟まないで、本当にもう……」

 紫鳶は一人で忙しそうだ。そう思いながら見ていれば、持参していた紅茶を三人分用意する。ああ、お茶するのか、と焼いてきたワッフルを取り出す。ついでに、暇な時に作っていた自家製ジャムをテーブルに置く。ちなみにジャムの種類はストロベリー、ブルーベリー、オレンジの三種類。そういえば、引き出しに蜂蜜とメープルシロップもあったので、それも出す。

「わー、これはまた美味そうなジャムだね」
「自家製」
「なるほど、悪くないな。僕はストロベリー」
「俺はどうしようかなー。ブルーベリーにしよう」
「好きにすれば」

 各々、好きにジャムを添えてワッフルに噛り付く。外はサクッとした感触だが、中はもっちりしていて美味い。我ながら良い出来だと思う。紫鳶の淹れた紅茶が良い塩梅に甘さを中和し、改めて紫鳶の紅茶は美味いと一人頷く。
 ワッフルから視線を上げれば、紫鳶は嬉々としてブルーベリージャムをワッフルにたっぷりと乗せているし、憂漣はワッフル片手に分厚い本をペラペラと捲っている。いつの間にか日常になった光景だった。行儀悪く自分の手についたオレンジジャムを舐め取ると、また一口紅茶を飲む。ここを見つけて居座るようになってから、もう随分と経った。二人に出会う前は別の二人とここにいた。いや、きっと俺の時間はあの時からずっと止まっていると言っても過言ではない。俺だけがずっと取り残されている。だから、何をするにも心がどこか遠く、まるで他人事のようで、何でもいいと思ってしまうのだろう。

「黒禰。そういえばこの前借りた本だが」
「あれ借りたつもりだったの?」
「どういう意味だ」
「逆にどういう意味だし。俺の棚から勝手に取って持っていったくせに。何も言わずに」
「ちゃんと言った」
「いつ」
「君が作業してる間に」
「気付かなかったんだけど」
「それは僕の知ったことじゃない」
「意味わかんない」
「どこが? 難しい話などしたつもりはないが」
「だからさ、何でお前たちはややこしい会話の仕方するの? 毎回俺に言わせるのやめて、頼むから」
「「頼んでない」」
「腹立つわ~! こういう時だけ息ピッタリとかもう本当腹立つわ~!」

 そうしてまたブルーベリージャムをこれでもかと言わんばかりにワッフルに乗せ、やけ食いのようにかぶりつく紫鳶。憂漣はその様子に訳がわからないというような顔をして見ている。
 変な奴。二人とも変な奴。こんな俺にかまって、俺を突き放すわけでもなく受け入れて。だからと言って、変に干渉するわけでもない、変な奴らだ。だが、それも嫌いじゃないと思っている。単純に居心地が良い。変に詮索しようとするわけでもなく、追い払うわけでもない、俺にはちょうど良い場所だと思う。二人がどう思っているかはわからないが、このままでいさせてくれるなら、それはそれで有難いから。
 ジャムで汚れた手を拭き、デッサン用のノートとペンを取ると定位置のソファに座る。憂漣は変わらず本を読み、紫鳶もいい加減ワッフルを食べるのをやめたらしく、彼には珍しく持参したであろう本を広げている。

「紫鳶が本読むの珍しい」
「まあね」
「アンタも本読むんだね」
「たまにだけどな」
「ふうん。何の本?」
「ん? 紅茶の本」
「……本読むほど紅茶好きなの?」
「何だよ。別にいいだろ? 紅茶を淹れるの、もっと上手くなりたいしね」

 大した向上心だ。そこまで上手くなってどうするつもりなのだろうか。

「君は十分、紅茶を淹れるのは上手い。もう紅茶はいいからコーヒーを極めたらどうだ」
「俺は紅茶の方が好きだし。コーヒーは憂漣が極めたらいいだろ」
「僕は飲む専門だ。黒禰が極めるというのは?」
「俺は菓子を極めてるし」
「「確かに」」

 納得と言った表情で頷く二人がおかしくて、小さく笑った。ほら、やっぱり居心地が良い。
 静かな沈黙が流れたところで、次の作品のデッサンを始める。ガラスのことを考えるのは好きでもあり、嫌いでもある。楽しい思い出と悲しい思い出があるからだ。ある意味、バランスは取れているかもしれないが、あまりにも極端すぎた。楽しいに振り切った思い出と、悲しみに振り切った思い出。中間がない。いや、もしかしたら今は中間にいるのかもしれない。楽しくも悲しくもない。ただ作っている。過去の自分と現在の自分を今にも切れてしまいそうな細い糸で、何とか繋げているような感覚。
 ペンを取ると、何も考えず手が動くままに描いてみる。大きさ的に指輪か、ピアスか。
――そうだ、注文が入っていたのを忘れていた。そちらを先に片付けた方が良いだろう。作業台の引き出しまで依頼の紙を取りに行き、内容を確認する。注文内容に思わず眉を顰めた。
 よりにもよって腕輪か。好きでもないが嫌いでもない。そんな中で、腕輪は苦手な部類だった。技術的なものではなく、気持ち的な問題だが。

「めんどくさ」
「面倒なのも仕事のうちだぞー」
「僕は面倒なことはやらない」
「むしろお前は少しくらい面倒なことをやるべきだけどな」

 思わず零れた言葉に、二人が話し出す空気はやっぱり嫌いじゃない。

▼△▼

「じゃ、俺達帰るよ」
「今度はチュロスを作って教会に来い」
「俺、別に菓子職人じゃないんだけど」
「あーはいはい、憂漣がごめんなさい。文句の言い合いするのはなしな」
「ふん」
「ふん、じゃないよ、まったく……。じゃあね、黒禰」
「うん」

 二人を見送った後、ソファに座り再びペンを取る。なんとなく気が乗らず、伸びをしてから目を閉じる。静かになった洞窟は、一人になったせいもあり少しだけ肌寒く感じた。
 作業台に置いておいたブランケットを取りに立ち上がり、ブランケットを手にすると、何故か重みを感じた。何か引っかかっているのだろうかと広げてみれば、何故かその中に自分のものではないガラスの作品。それはガラスの靴のようだった。しかも左足の分しかない。俺って手品できたっけ、と思いながらも首を傾げていると、靴に添えられたメッセージカードを見つける。やっぱり俺のじゃないじゃん、と広げてみれば、ますます意味がわからなくなる。

『黒禰[クロネ]=スピネル 様
    このガラスの靴にあう者が、あなたの願いを叶えるだろう』

「なんで俺の名前があるわけ? 意味わかんない」

 何故自分宛なのか。誰かのイタズラか何かか。
だが、そんなことを考えながらももっと引っかかるのはメッセージカードの内容だった。

「願いを叶える、ね」

 口に出して思わず小馬鹿にするような笑いが漏れる。それもそのはずだ。何故なら――

「俺に願いなんてない。叶わないことを願うなんて馬鹿がすることだ」

 吐き捨てるように言いながら、何故悲しいと思うのか俺にはわからなかった。

END