石谷虎之助
「――それにしても、
大切な人のために雪の中で若菜を摘み続けるなんて」
石谷虎之助
「まるで光孝天皇の和歌のようですね」
佐野ゆずりは
「和歌ですか?」

思いがけない言葉に首をかしげる。

石谷虎之助
「はい。百人一首です。
……」

虎之助君が深く息を吸い込んだ。

石谷虎之助
「君がため 春の野にいでて 若菜摘む
わが衣手に 雪は降りつつ」

静かに歌をそらんじる声が、
雪に染み渡るようだった。

思わず聞き惚れていると、
虎之助君は照れくさそうに微笑む。

石谷虎之助
「あなたのために若菜を摘んでいました。
春だというのに、ちらちらと雪が降ってくる」
石谷虎之助
「いつの間にか、
着物の袖にも雪が降りかかっていた――」
石谷虎之助
「そんな情景を歌ったものです」
石谷虎之助
「雪の中でも、あなたのことを思いながら
こうして若菜を摘んでいるのです……」
石谷虎之助
「そんな気持ちが込められているんですよ」
石谷虎之助
「誰かのために、
雪の中で摘む貴方の姿が重なりました」
佐野ゆずりは
「そんな大げさなものでは……」

素敵な歌にたとえられてしまい、
恐れ多い気持ちになる。

佐野ゆずりは
「でも、素敵な歌ですね」
佐野ゆずりは
「その歌を詠まれた方も、
きっと私にとっての八重さんのような
大切な人がいたのでしょう」

ここ最近は殺伐としたことばかりだったから、
和やかな句に心が癒された。

石谷虎之助
「……そうですね。
ただ、ここで言う『君』は
厳密には、恋い慕う人のことだと思います」
佐野ゆずりは
「恋い慕う人……」