タイトル:幸運が生まれた日


ユリウスが娯楽室を目指して歩いているのは、アルバロから招集がかかったからだった。
目的は知らされていないが、送られてきたパピヨンメサージュには、

【ルルちゃんが大好きな人、集まれー】

……と書かれていたので、間違いなく彼女のことなのだろう。
本当は読みたい本があるのだが、ルルの名前を出されては断れない。
いったいなんだろう、と思いながら、ユリウスは娯楽室の扉を開けた。

 

「こっち、こっち。ユリウスくん」
ソファーに腰掛けたアルバロが、こちらに向かってひらひらと手を振っている。
その向かいにいるノエルは、散らばったベターカードの上にべったりと突っ伏していた。
今まで、アルバロと対戦していたのだろう。
その様子を見ていたのか、ラギは生ぬるい顔をしており、ビラールはにこにことしていた。
エストは黙々と、歴史書を読んでいる。
自分以外の5人は、すでに集まっていたようだ。
「ごめん、遅くなった」
ユリウスがソファーに座ると、主催者がぱん、と手をたたいた。

「じゃあ全員そろったところで、始めようか。第1回ルルちゃんをお祝いしよう会議ー」

突然の妙なタイトルコールに、ユリウスは首を傾げる。
「ルルをお祝い? なんで?」
心当たりがないので、素直に聞き返してみたが、
「なんでだと思う?」
と、逆に問いかけられてしまった。
うーん、と考え始めた自分に焦れたのか、沈んでいたノエルが、
「決まっているだろう!」と、高らかに叫びながら起き上がる。

「最終試験に合格したことと、そして全属性を得たこと! これを祝わずに何を祝う!」
「……あ」

ノエルに言われて、思い出す。
最終試験は、取り組んでいる姿が見られなかったため、あまり印象になかったが……。
ルルが全属性を得たことは、なぜ思いつかなかったのか不思議なくらい、自分にとって大きなニュースだった。

「それだけではありまセン。今週末は、ルルのお誕生日なんデス」
「え、誕生日?」

ビラールの言葉に、ぱちくりと目を瞬く。
……そういえば、彼女の誕生日がいつか聞いたことがない。
この半年間ずっと一緒にいたせいか、なんとなくすでに知っているような気分でいた。
「本当は誕生日に、試験最終日を迎える予定だったそうですが……。
合格だと決まるのが早かったんですね」
「……そうなんだ」
「さすが、ルルちゃん大好きクラブのエストくん。詳しいねー」
「勝手に人を妙なクラブに入れないでください。
……彼女の方から報告してきたんです。僕だって好きで知っていたわけじゃありません」
エストはそっぽを向いてしまうが、アルバロは楽しげに笑っていた。
「とにかくユリウスくん、そういうわけだから。ルルちゃんを【思いっきり】お祝いしてあげようよ」
「……アルバロ、そんなに【思いっきり】を強調されると大変あやしいんだが……」
「こいつがまともに祝うはずねーだろ」
ノエルはなぜか冷や汗を浮かばせ、ラギは呆れたように息をつく。
意味がよくわからないが、ルルを祝うことに異論はない。むしろ大賛成だ。
「えっと……それで、具体的に何をするの?」
「だから、それを今からみんなで話し合うんじゃない」
……なるほど、とつぶやく。それで【お祝いしよう会議】なのか、とようやく納得がいった。

「こういう祝い事は、とにかく盛大にやらないとな。
大ホールを貸しきってのパーティーはどうだろうか!」
ノエルが、元気よく手を上げて発言する。
やる気に満ちたその顔には、ルルをお祝いしてあげたい! と大きく書いてあるように見えた。
「少人数で大ホール使うなんて、むなしいだけだっつーの」
その意見を、ラギはあっさりと却下する。
見た目には現れにくいが、彼もまじめにルルをお祝いしてあげようと考えているのだろう。
「無難に、娯楽室を貸しきるのがいいでしょうね。
プーペに頼めば、料理くらい出してくれるんじゃないですか」
「あとは、プレゼントデスね。
試験合格と全属性とお誕生日デスから、3つ分の気持ちを詰めなくてハ」
「ま、それは各自で用意するとして、他は――」
淡々とした様子のエストも、にこにこしているビラールも、楽しそうなアルバロも……
今は皆ルルのことを考えている。

――このパーティーを実際に開いたとき、彼女はどんな顔を見せてくれるのだろう?
きっと、この場にいる全員が同じ思いを抱いている。
そう考えると、なんだかとても居心地がよかった。

気の利いた案を出せず、皆の意見を聞いていると、
決まっていく内容に混じって、コツ、コツと小さな足音が聞こえてくる。
座ったまま視線を上げると、その足音の主と目が合った。

「あ、ルル」
その名前に、皆の肩が跳ねる。

「こんばんは! みんなそろって、いったい何のお話してるの?」
わくわくした様子を隠さないまま、ルルが駆け寄ってくる。
「な、なんでもない! なんでもないぞ、ルル!」
あわてたノエルが、ぶんぶんと千切れそうなほど激しく首と手を横に振った。
「私に内緒の話なの……?」
「イイエ、そうではありまセン。ルル、今週末は空いていマスか?」
「え? 大丈夫だけど……何かあるの?」
「ふふ、それは当日のお楽しみデス」
口元に指を当てて笑うビラール。
彼にこう言われると、誰も深く追求できない。これが人徳というものなのだろうか。
仲間外れを気にしていたルルも、ビラールが巧妙に逸らした話題に気を取られているようだ。
「それより、ルル。その手に持っている物は何デスか?」
「これ? ふふっ……」
彼女は大事に抱えていた本を、表紙が見えるように持ち上げる。なんだかとてもうれしそうだ。
「この絵本ね、さっきヴァニア先生にもらったの!」
「絵本? それが?」
本の表紙は真っ白で、文字も絵も何もかかれていない。
とても絵本には見えないが、彼女はその種を知っているのだろう。
「ちょっと特別な絵本なの。今度、みんなにも見せてあげるね!」
本を抱えたまま、彼女がにこっと笑う。
気がつくと、ユリウスもつられるように笑っていた。
……ルルの笑顔には、不思議な力があるのだと思う。

 

 * * *

 

不思議なもので、彼女との約束があると時間が経つのがとても早く感じる。
あっという間に週末になった。

パーティーの準備をした娯楽室。
皆でルルの登場を待っていたのだが……一向に、彼女は現れない。
「どうしたんだろう、ルル。何かあったのかな?」
ルルは、時間や約束をきちんと守る。
その彼女が遅刻をするということは、何か理由があるのだろう。
先ほど送った、パピヨンメサージュへの返信もない。
何か事件に巻き込まれたのだろうか、そう思いついたとき、
バタン! と勢いよく扉が開いた。

目を向けると、そこには息を切らせたノエルが立っていた。
彼が、ルルを探しに行くと飛び出したのはついさっきのはずだが……。
「ノエル、ルルは見つかった?」
ノエルは答えず、ずかずかと歩み寄ってくると、手に持っていた本を差し出した。
「あれ……この本って」
「ルルが持っていた絵本だ! これが、廊下に落ちていたんだ……!」

「……魔力を感じますね。この間は、こんな魔力を帯びていませんでしたが」
絵本を覗き込み、怪訝そうな顔をするエスト。
彼の言う通り、いろんな属性の、しかも不安定な魔力を感じる。
「明らかに不自然だろう? この本が、ルルの失踪に関わっていることは間違いないな!」
言いながら、ノエルはぱらぱらと絵本をめくる。
【絵本】だというのに、中身も真っ白なページばかりで何も描かれていない。
魔力を帯びていることと何か関係があるのか、と考えていると……急に、本が光り始めた。

「な――!?」
本から溢れ出た光は、音もなく膨らんでいき、ぎょっとした顔のノエルを包み込んでいく。
彼の姿が完全に見えなくなり、そして――。

「…………」
光が消えると、ノエルの姿も消えていた。

ばさりと落ちた本を見下ろしてから、皆で顔を見合わせる。
「今のって、本の中に吸い込まれた……んだよな?」
「そのようですね。おそらく、ページをめくると中に引き込まれるんでしょう」
「……す、」
本の中に吸い込まれた……そう認識した瞬間、
ユリウスの中で、カチリと何かのスイッチが入った。

「すごいよ! 本の中に入れるなんて意味がわからない!
これって魔法具かな? どうなってるのかな!?」
「お、おいユリウス! ちょっと待て! なに自分から飛び込もうとしてんだよ!」
嬉々として本を拾い上げようとすると、あわてた様子のラギが腕を掴んできた。

「でも、ルルちゃんが飲み込まれちゃった可能性は高いし。
中に入って探してみるのがいいと思うけど」
ラギの横から長い手を伸ばし、アルバロが本を拾い上げる。
彼はその本をユリウスに差し出すと、にっこりと笑いかけてきた。
「それに何より、面白そうだしね」
「うん! 行ってみよう! こんなチャンス2度とないよ!」
はやる気持ちを抑えられないでいると、後ろからエストの深いため息が聞こえてきた。
「こんなことが何度もあっては困りますが」
「まあまあ。とにかく、ルルを迎えに行きまショウ」
アルバロから本を受け取り、ぱらぱらとページをめくる。
本は先ほどと同じように光り始め、あっという間に視界が真っ白になった。

 

 * * *

 

光が消え去り、いつの間にか閉じていた目を開く。
娯楽室は、健康な緑が生い茂る森の中へと変わっていた。
吸い込まれたという感覚はなかったのだが、どうやら無事に、絵本の中に入り込めたようだ。

「へえ、ここが絵本の中かあ。ずいぶんときれいなところみたいだけど」
木漏れ日を見上げたアルバロが、そう感想をもらす。
「先に来たノエルはどこだろう? もしかして別の場所に飛ばされちゃったのかな?」
辺りをキョロキョロと見回してみるが、ここにいるのはノエルを抜いた5人だけ。
開くページによって飛ぶ場所が違うのだろうか。

「……なんていうか、さすがだな」
何かを哀れむような表情で、ラギがこちらの足元を指差してくる。
意味がわからず、視線を落としてみると……
ユリウスの下に、つぶれたカエルのような格好でノエルが倒れていた。

「あ、ごめんノエル。大丈夫?」
「……なぜいつもいつも貴様はそうなんだ!?
わざわざ僕の上に落ちてこなくてもいいだろう!!」
言いながらノエルが跳ね起きる。
マントには版画のようにくっきりと、ユリウスの足跡がついていた。
「ごめん、わざとじゃないんだけど……。それより、ルルは見つかった?」
「謝罪に誠意が感じられないがまあいい! ……僕が来たときも彼女の姿はなかったぞ。
もうどこかへ行ってしまったんだろうな」
「彼女の性格からして、じっとしていることはまずないでしょうね」
これまでの彼女の行動を思い出しているのか、エストは苦い顔でため息をついた。

「足跡とかもなさそうだな。どっちに行ったかもわかんねー」
がさがさと草を掻き分けながら、ラギが報告してくる。
ユリウスも探してみたが、人間の足跡どころか、動物の足跡すら見つけられない。
「さて、どうしまショウか? 何も手がかりはなさそうデスし――」
「いえ、そうでもないようです」
ビラールの言葉をさえぎって、エストは森の奥を指差した。
「あちらから、かすかにですが魔力の気配を感じます」
「……そう言われれば……」
かなり集中しないと気がつかないほど、微量な魔力だ。
それに気がつくのだから、エストはやはり天才なのだろう。
「他に何もねーし、行くしかねーよな。こっちか?」
ラギが草木を払いながら歩き出し、皆もその後に続く。

ざくざくと葉を踏みながら進んでいくと、段々魔力の気配が濃くなってくる。
「……おい、なんか見えてきたぞ」
垂れ下がっていた枝を持ち上げると、その先遠くにある【何か】が視界に写った。

それは鮮やかなピンク色で、家1軒分はありそうなほどの大きさ。
「これって……」
ユリウスには見覚えがある。
ルルと初めて会ったとき、彼女が魔法で巨大化させたあの花だった。
1番最初に見た、彼女の意味のわからない魔法を忘れるはずがない。

「どう見ても、ルルちゃんの仕業だよね。これ」
「彼女以外に、こんなことをする人間を僕は知りません」

風が吹くと、強烈な花の匂いが鼻孔を刺した。
これだけ大きいとまるで兵器だな、と隣で鼻をつまんだノエルがつぶやく。
「ルルがここに来たのはわかったが……この後はどこに行ったんだ?」
ラギに言われて魔力を探ってみるが、ここで魔力の気配は途切れている。
エストに視線をやるが、彼もふるふると首を振った。

「ねえみんな。ルルちゃんが魔法を使った理由がわかったよ」
興味深く花を見ていたアルバロが、おいでおいでと手招きをしている。
招かれるまま近づいてみると、花に隠れて小さな看板が立っていた。

「【土属性の魔法は、先へと繋がる】……? これって、出口への案内板かな?」
「そんな親切なもんがあるかよ。怪しいだろ、どう見ても」
「デスが、ルルならきっと信じるでショウね」
「……土属性の魔法なら何でもいいんですか?
それとも、僕たちもこんな風に、花を巨大化させなくてはいけないんですか?」
エストはげんなりと、花を見上げている。
看板には、先ほどアルバロが読み上げた文しか書いていないようだ。
ユリウスはうーんとうなりながら、看板と花を交互に見比べてみる。

「とりあえず、土属性の魔法を使ってみたらどうかな? この花のサイズを元に戻すとか」
「そうデスね。このままデハ花もかわいそうデス」
「だったらさっさとやっちまえよ」
「そうですね。お願いします」
「ほらノエルくん、ずいっと前に出て」

ユリウスの提案に賛成しながら、皆後ろへ下がった。
アルバロだけがノエルの背中を押している。

「……待ってくれ。なぜ、僕が魔法を使う流れになっているんだ!?」
「だって、土属性の魔法が1番得意なのはノエルだし。頑張って」
ノエルにエールを送ると、アルバロも彼を励ますように、ぽんぽんと肩を叩いた。
「この中で1番魔法が上手いのって、ノエルくんだし。
やっぱり勇敢で天才で何かと運のない魔法使いにここは任せたいかなーって」
「……そ、そうだな。僕は勇敢で天才で……ま、待て。今運がないと言ったか?」
「いいからさっさとやれっての!」
ノエル以上の適任はいないというのに、なぜか彼はしぶっている。
ラギに急かされて、ようやくノエルは巨大な花へと向き直った。

「――レーナ・テラ。過剰な成長を遂げた花よ、あるべき姿に戻りたまえ!」

ノエルの魔法は正確に発動した。
インセクトアンバーから伸びた光に包まれ、花は見る見るうちに縮まっていく。

「……なんだよ、何も起きねーじゃねー……か!?」
辺りを見回していたラギが、上空に目線をやった状態で静止する。
彼の横に、ぼたっと何かが落ちた。

「えっと……魚……?」

見上げると、そこには音もなく大量の水が……いや、海がまるごと落ちてきていた!

「す、すごい! 海が空から落ちてくるところなんて初めて見た!!」
「当たり前だろ! こんなこと現実で起きてたまるか!」
「それよりどうするんです!? あんなの防ぎようが……!」
エストが言い終わる前に、世界が水色に染まった。

 

 * * *

 

あっという間に辺りは海の中となり、先ほどまであった木々も花々も、
どこかへ消え去ってしまった。
目の前を泳いでいく大きな魚に、ここは海なのだと実感する。

「すごいよ! 森がいきなり海になるなんて! しかも、息もできるし声も出るよ!
これってどういう魔法なのかな!?」
手足を動かしてみても、浮力を感じることはない。まるで地上にいるようだ。
「絵本の中だし、何でもありなんじゃない?」
そう言うアルバロの口調も、かなり明るい。この状況を楽しんでいるのだろう。
「見てよ、あの魚。現実じゃありえない色してる」
アルバロが示す方向には、パステルカラーの魚たちが悠々と泳いでいる。
それは熱帯魚のようなものではなく、イワシやサンマなどの普段食べている魚だった。
「あんなにきれいな色の魚を見ると、なんだか魚料理が食べたくなってくるね」
「……それ、本気で言ってんのか?」
食欲旺盛なラギだが、あの色の魚は受け付けないようで、
絵の具の味がしそうだ、と言いながら目をそらした。

「ルルもここに来たのだろうか?
……もしかして、この魚たちも、彼女の魔法によってこんな奇抜な色になったのか?」
ノエルは服や髪をつついてくる小魚を払いながら、誰にともなく尋ねる。
周囲を見渡していたエストが答えた。
「ですが、魔力の気配はないようです。
ここでこうしていても仕方ありませんし、とにかく進みましょう。
……これ以上ここにいると、今後一切魚料理が食べられなくなりそうですから」
「けど、どの方向へ進めばいいんだ?」
草木が一切なくなって、来た道すらわからない状態だ。
海上の様子もものすごく気になるが、ここからでは全く見えない。

「そうデスね……。ラギ、試しにドラゴンになって魚に話を聞いてみてくだサイ」
「ふざけんな! こんなとこで変身したら腹減って動けなくなるだろ!」
「でも、ここに女の子なんていないけど……どうやって変身するの?」
「大丈夫デス。これだけたくさんの魚がいるんデスから、メスもたくさんいるはずデス」
「てめーバカにしてんのか!? 魚相手に変身するわけねーだろ!」

「……おや?」
今まで自由に泳いでいた魚たちが突然、一斉に遠くへ向かい始めた。
その姿は、どこかあわてているようにも見える。
「なんだなんだ? 魚が一斉にいなくなってしまったが……」
「……何かがコチラに向かってきているようデスね」
言いながらビラールは、そっと腰のゴブレットに触れる。
いつでも魔法を唱えられる姿勢に、少しだけ緊張しつつ、彼の言う方向を見やる。
遠くに、ピンク色の塊が近付いてきていた。

「あれって……魚?」
「魚にしては、ずいぶんと歯が鋭いように思いますが」
「……おい、ていうかあれって……!」
言っている間にも、それはどんどんと近づいてくる。
大きく長い体、とがったヒレ、赤い口から覗くキバ。すべてがかわいい花柄だが、あれは――。

「サメ、デスね」

花柄のサメはぱかっと口を開けたまま、猛スピードで突進してくる。
それに連動して、ノエルの顔色が見る見ると青くなっていった。
「さ、サメ! サメだと!? 心なしか僕の方を向いている気がするんだが!」
「とにかく、逃げた方が良さそうデスね。サメは肉食デスから」
ビラールは言いながら、皆の背中を押して走り出す。
動揺していたノエルも、少し遅れて走り出した。

「まずいですね、このままでは追いつかれるかもしれません。
……ここはやはり、囮をつかった方が確実ですね」
「なぜそこで僕を見るんだエスト!」
確かになんとなくだが、囮にするならノエルが適任のような気がする。
「サメに追いかけられるなんて、かなり貴重な体験だよね。
海に行ったって、なかなかそんな機会に恵まれないし」
「恵まれなくていいだろ! って、ほんとにどーすんだよ! 追いつかれるぞ!」
振り返ったラギが、サメの近さに驚いて声を上げる。
アルバロににやりとした顔を向けられると、
ノエルはぶんぶんと、もげそうなくらい激しく首を振った。

「仕方ないデスね」
ビラールは立ち止まり、サメに向き直るとゴブレットを掲げた。

「レーナ・アクア。氷。壁。行く手ヲ、阻め!」

端的な呪文が唱えられると、がきんっ、と高く鋭い音が響く。
水中に現れた氷の壁は、狙い通りサメの進行を妨げた。
勢いよく壁にぶつかったサメは、目を回してふらふらとしている。
「おお! さすがだビラール! よし、今のうちに――」

再び走り出そうとした途端、びゅう、と突風が吹きつけてきた。

「こ、今度はなんだー!?」
ノエルの叫び声が強風の中に消え、風の音以外何も聞こえなくなる。
息がつまりそうなほどの風に思わず目を閉じると、ふわっと体が浮いたような気がした。

 

 * * *

 

風が止んで目を開けてみると、いつの間にか、青空に浮かぶ雲の上に立っていた。
天気は、台風が過ぎ去った直後のような快晴。
足場の白い雲は、綿のようにふわふわとしていてとても歩きづらい。

「海の次は、空デスか。雲の上に乗るなんて、貴重な体験デスね」
「……本当にでたらめな世界ですね。一刻も早く脱出したいです」
「そう? 俺は結構楽しんでるけどね。
ほら見てよエストくん、あの雲ソフトクリームの形してるよ」
「…………」
アルバロが指差す方向に目をやることはなく、エストは疲れた顔でため息をついた。
周りの雲はソフトクリーム型だけでなく、いろいろなお菓子の形をしている。
パンケーキ型、ショートケーキ型、プリン型……
今、自分たちが立っているのは、どうやらマカロン型のようだ。

「なんだかここって、ルルちゃんの脳内みたいだね」
「うん。なんだか、世界中がルルの魔法にかかったみたいだ」
意味がわからなくてわくわくするこの感じは、ルルを思い出す。
何が飛び出すかわからなくて、予想なんてできなくて……。
ルルの魔法に、ユリウスはいつだってこんな気持ちになるのだ。

「……なんだか急に、すごくルルに会いたくなった」

彼女の魔法に溢れているのに、本人がいない。
そう認識すると、それがとても寂しいことだと思えてきた。

「ハイ。ワタシも、ルルに会いたくてたまりまセン」
「俺も。やっぱり本人がいないと面白くないよね」
「……僕も、脱出したいという意味では、早く彼女に会いたいです」
「そうだな、早く迎えに行ってやらねば。
こんな世界に1人きりで、きっと寂しい思いをしているに違いないからな!」
「…………ま、あいつがいねーと調子でねーしな」

ユリウスは雲の端に立つと、杖を構えた。

「ユリウス? 何をするつもりだ?」
「ここって多分、環境に適した魔法を使えば先に進めると思うんだ。だから……」
「森なら土属性、海なら水属性、空なら風属性というわけですか。
……確かに、試してみる価値はありそうですが……」
「何か、問題あるかな?」
苦い顔をする天才少年に尋ねてみると、返ってきたのはため息だった。
「進み方が乱暴で疲れるので……今度はもう少し穏やかな移動の仕方だとうれしいのですが」
「確かに……今までの2回とも、ものすごく心臓に悪かったな」
「うーん、それは俺に言われても……」
「まあまあ。とにかく、試してみまショウ。
早くルルを連れて帰らないと、パーティーをする時間がなくなってしまいマス」
「そうだね。じゃあ、いくよ」
ユリウスは頷くと、静かに目を閉じ、律を紡ぎ始めた。

「――レーナ・ベントゥス。風よ、優しき彼女へと続く道を示せ」

杖を向けた方向に風は吹き、お菓子型の雲を払っていく。
ルルの姿が見えることを期待していたのだが、雲がなくなった空に現れたのは……

――ドラーグだった。

「ドラーグが見えたってことは……あれはドラカーゴかな?」
真っ直ぐに飛んでくるそれは、アルバロの予想通りドラカーゴだ。
「こっちに向かって飛んできてるな。……あれに、ルルが乗ってんのか?」
「もしくは、僕たちがあれに乗って行くか、ですね」

ドラカーゴは迷いなく、まっすぐにこちらに向かっている。
そのスピードは、普段よりもずっと速いようだ。

「……おい、なんか様子おかしくねーか?」
もうマカロン型の雲に近いというのに、ドラカーゴは速さを緩めることはない。
むしろ、どんどんと加速しているようにも見える。
「な、なぜ止まらないんだ!? ま、まさか……!」 
「……穏やかな移動方法を期待する方が間違っていたんですね」

諦めたようにエストが目を伏せたとき、ドラカーゴはマカロン型の雲を突っ切った。
雲は霧散し、足場をなくしたユリウスたちはまっ逆さまに落ちていった。

 

 * * *

 

次に目を開けたとき、最初に飛び込んできたのは壮大な花畑だった。
広い青空の下、見渡す限りの花々が、そよ風に揺れている。

「今度は花畑ですか……。いよいよルルの脳内と言った感じですね」
苦々しくつぶやくエストは、服についた花びらを払っている。
黒髪についたままの花びらをアルバロがそっと取り上げると、エストは嫌そうな顔で睨んだ。

「……あれ、誰かいる」
ふたりのやりとりの見ていると、その後ろ、かなり離れた位置に人影があることに気がつく。

ユリウスは吸い寄せられるように歩き出した。
段々と見えてくる、花畑に座り込んだ小さな背中。
花びらが何枚もついた、ふわふわな髪。
花よりも甘い、お菓子のような匂い。

「――ルル!」

振り返った彼女の大きな瞳に、自分の姿が映る。
「ユリウス!」
ルルは驚いて立ち上がると、こちらへと走り寄ってきた。

「みんなも……! どうしてここにいるの?」
「どうしてもルルちゃんに会いたかったから。追いかけてきちゃった」
「あなたが時間になっても来ないので……絵本に吸い込まれたのではないかと探しに来たんです」
説明する気のないアルバロに代わって、エストがそう言うと、ルルは申し訳なさそうに下を向いた。
「みんな、ごめんね。突然いなくなっちゃって……」
「ルル、今回は事故に巻き込まれたようなものだ。気にしないでくれ」
「そうデス。アナタが無事で、何よりでシタ」
ノエルとビラールが優しく声をかけるが、ルルは小さくと首を横に振る。

「……原因を作ったのは、私自身なの」

ルルは、ミルス・クレアで過ごした半年間、ずっと皆に支えられてきた、と話した。
最終試験に合格したことも、全属性を得ることができたのも、皆のおかげ。
そう思った彼女は、この絵本を使い、皆にお礼をしようと決めたのだそうだ。

「この絵本はね、魔法をかけると、望んだ世界を体験させてくれる魔法具なの。
これで、みんなにもすてきな体験をしてもらおうと思ったんだけど……」
「魔法をかけるときに失敗しちゃったんだ?」
アルバロの言葉に、ルルはこくんと頷いた。
「私が望んでたことも、望まないことも、いろいろ混ざっちゃって……
こんなでたらめな世界になっちゃったの」

ルルの魔法は、失敗したときこそ意味がわからなくて面白い。
けれど、本人はその魅力に気がついていないようだ。もったいない、と思う。

「すぐにここから出ようと思ったんだけど、望んだことを体験しないと
出られないみたいで……ごめんなさい」
しょんぼりと頭を垂れる姿は、まるで小さな子供のように見える。
ビラールは大丈夫大丈夫と言いながら、大きな手で彼女の頭を撫でた。
「つまり、ルルの望みを叶えれば、ココから出られるのデスね?」

「じゃあ、お姫様。何なりとお望みをお申し付けください」
アルバロはうやうやしく彼女の手を取る。
そのまま手の甲にキスを落とそうとするのを見て、ラギがあわてて止めに入った。
「てめー! 何してんだよ!」
「お姫様の望みを叶えるんだから、ちゃんと誓いのキスをしないとって思って。ラギくんもする?」
「な!? す、するわけねーだろ! つーかてめーもすんな!!」
そんなやりとりに、ルルは、ふふ、とようやく笑ってくれた。

「あのね、もう大丈夫なの。私の望みは、今叶ったから!」
「……そうなの?」
きょとんとしている皆に、ルルはにっこりと笑いかけた。

「私は、みんなと一緒にいたかったの!」

彼女は杖を取り出すと、すぐに呪文を唱えた。
杖の先から溢れる光、そこに舞う無数の花びら。

幻想的な光景を見ながら、ユリウスは考えていた。

みんなと一緒にいたい――その【みんな】に自分が含まれていたことはうれしい。

……けれど、【ユリウス】と一緒にいたい。
そう思ってくれた方が、もっとうれしい気がした。

どうしてこんなことを思うんだろう、と首を傾げているうちに、光で何も見えなくなった。

 

 * * *

 

娯楽室へ無事に戻ってくると、ルルはパチパチと瞬きを繰り返した。
いつもと違う室内を、驚いた様子でキョロキョロと見回している。

「ねえ、なんだかすごく豪華だけど……今日はパーティーか何かなの?」
室内はきれいに飾り付けられて、テーブルにはプーペが用意した豪華な料理が並んでいる。
ソファーにはそれぞれが用意したプレゼントが積まれてあるので、戸惑うのも無理はないだろう。
そんな彼女がかわいくて、ユリウスは思わず顔をほころばせた。

「ルル、誕生日おめでとう」
「え? …………あ!」
声と共に、大きな目がさらに見開かれた。

「試験が終わって……みんなにお礼しなきゃって、そればっかりで……
お誕生日なんてすっかり忘れてた……!」
ルルは改めて娯楽室を見回し、そしてユリウスたちひとりひとりの顔を見た。
「じゃあ今日は私のために、みんな集まってくれたの?」
笑顔で頷くと、彼女の顔がぱあっと明るくなる。

「ありがとう……!」

うれしそうなルルを見つめていると、ドタドタとノエルが詰め寄ってきた。

「ユリウス貴様! 【おめでとう】は全員で声をそろえて言うと決めただろう!?」
「あ、ごめん。すっかり忘れてた」
「約束は忘れたら意味を成さないんだぞ!?」
「まあまあノエルくん。細かいこと気にしてないで、
さっそく辛いもの食べまくりショーでも始めようか」
「な、なんだそのショーは!? そんなものやる予定はないぞ!!」
「予定は常に変わっていくものデス。ルルが喜ぶコトなら、やりまショウ」
「つーか、ただ食ってるとこ見るだけじゃ面白くねーだろ」
「じゃあ競争にする? 誰が1番多く辛いものを食べられるか」
「食べることから離れてください。聞いているだけで胸焼けがするんですが」
「では、エストは何をしたらイイと思いマスか?」
「そんなの、本人に聞けばいいでしょう」
「ルル! 君はいったい何のショーが見たい!?」

ルルは本当に楽しそうに、声を上げて笑っていた。
「みんなが一緒にいてくれるなら、何でも!」

皆の笑いあう声を聞きながら、ユリウスは足元に落ちたままの絵本を拾い上げた。
真っ白だった表紙には、花畑に座る女の子の絵と、
【迷子のお姫様】というタイトルが書かれている。
パラパラと中をめくってみると、
先ほどまで体験していた出来事がすべて、児童向けの内容として描かれていた。
もう白紙のページは見当たらない。

「ユリウス、どうしたの?」
本をじっと見ていると、不思議そうな顔でルルが傍へ寄ってくる。

絵本の世界は、とても楽しかった。
ルルの魔法に溢れ、進むたびにわくわくした。
今思えば、もう少しあの世界を体験してきてもよかったかもしれない。
けれど彼女の顔を見ると、やっぱり帰ってきてよかった、と思うのだ。

どんな世界でも、彼女がいなければ意味がない。
彼女が笑ってくれなければ意味がない。

――自分は、ルルの笑顔が好きなのだから。

「ルル。俺と同じ世界に生まれてくれて、ありがとう」

思いを率直に言っただけなのだが、彼女は誕生祝いの言葉として受け取ったらしい。
ルルは顔を赤らめながら、とびきりの笑顔を見せてくれた。

 


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