タイトル:睡眠理論


面倒だ。

何が面倒かって、それを説明するのも面倒だ。
とりあえずのところは、今の状況とでも言っておこうか。

――頭が、痛い。
これは持病の頭痛以外に、明らかに別のものが起因している。


「お、なんだ。寝てないじゃん」

草を踏む音に振り返れば、派手な格好をした男が驚いた顔を向けて来た。
本格的に旅が始まって以来、いまだこの面子に慣れない自分にとって、この男の第一印象は【服】だ。
他の奴らが言うほど奇抜な格好とは思えないが、確かに珍しい格好には違いない。
薄桃色の上着に、大きく派手なしっぽ――本人いわく、鞄らしい――に、都ではあまり見ない靴。
出身が少し違うのだろうが、遠くからでも一発で視認できるほど派手なことには変わりなかった。
「今から寝ようと思ってたんだよ」
「ふーん。イライラして寝つけないのかと思ったぜー」
「…………」
断りもなく隣に腰をおろした男――八戒に、悟空はちいさく舌打ちした。
その言葉が図星だったからか、彼のおせっかいが気に障ったからかは定かではない。
「で? 謝る言葉は思いついたワケ?」
「はあ? なんで俺が謝らなきゃならねえんだよ」
「自分でも言い過ぎたって思ってんだろー。あれじゃ姫さんが可哀想だ」
呆れるように投げかけられた視線から、目をそらす。

――今日の昼間、日常茶飯事のように悟空と玄奘が口論になった。
内容は――正直なところ、悟空にとってはくだらなすぎて記憶にも残らない。
確かいつものように不摂生だとか、生活態度云々にうるさく言われて。
そこから天竺へ辿り着くための心構えがなんたらとかいう話になった気がする。
旅を始めてからというものよくある光景ではあるが、あまりに面倒だったからか悟空は少し強い言葉を投げ返した。
互いの間に流れた沈黙は、そのまま今の今まで保たれている。――あれから一度も、玄奘と言葉を交わしていない。

「姫さんだってわかってるんだよ。自分の考えが甘いってのもさ。それでも見て見ぬフリできねーんだろ」
「……あいつは、わかってねえよ」
「なんでそー思うワケ?」
「この旅はただ人助けするためのもんじゃねえ。目の前の雑事に目を奪われてたら進めねえだろ」
「まるで先がわかってるよーな口ぶりだなー」
「……俺にだってわからねえよ。けどな、予感はする。天界があいつに課そうとしてるのはただの人助けじゃないってな」
「それは、悟空だからわかることだろ?」
「……まあ、そうだな」
「じゃ、それを姫さんに押しつけてやるなよ。それともあんた、姫さんに説明できるわけ? これから起こること全部」
「…………」
それは無理だ。
なぜかといえば自分の記憶はいまだに曖昧だし、本能でこの旅への危険信号は感じるが、決定打になりえる情報もない。
ただ玄奘が甘い考えで突き進めば後悔する、と漠然と思えるだけで。
記憶があいまいなまま、自分の知っている情報を玄奘に教えたところで、中途半端な知識になるだけなのは目に見えていた。

――そう、【自分が知っている情報】。おぼろげだが、ある事実を玄奘に話していないのは、確かだ。

「ま、姫さんもなー。悟空にはやたら意固地になるとこあるけどな」
八戒の言葉がやけに遠く聴こえる。視界がぼんやりと霞んできた。
ゆっくりとまぶたが重くなり、頭の芯が蕩けるような感覚に襲われる。
「……眠い」
「っておいおい、せっかく人が相談乗ってやってんのに」
「頼んだ覚えはねえよ……。あいつのことだ、明日にはけろっとしてんだろ」
「そうかもだけどさー……」
八戒がまだ何か言いたげに口を開いて、ふと止まった。
乱暴に地を踏みしめる足音が聞こえたからだ。悟空はまた面倒だと思わずにいられなかった。

「おい八戒! 悟空は起きているか?」
「お、悟浄」

長髪が翻り、月光に反射する。
見た目が性格そのものを表すが如く、きっちりとした身なりをした青年がそこにいた。
足早に近づくと、青年――悟浄は眉をつり上げて悟空を見下ろす。

「悟空、俺がとやかく言うことではないが――」
「はいはい。わかった。玄奘に謝れってんだろ?」
「……当人同士の問題で、俺がどちらかに謝れなどと言えるはずがないだろう」
「おー。大人じゃん悟浄。どした」
茶々を入れられて悟浄が睨みつけると、八戒は肩をすくめた。
ちいさなため息を吐いて肩をおろした悟浄が、また悟空に向き直る。
「……お前の言葉が玄奘様を思っての苦言だということは俺だって理解している。だがもう少し言葉を選べと言いたかっただけだ」
「耳タコだ。それに俺はべつに玄奘のために言ってるわけじゃねえ」
「相変わらず素直じゃねーなー」
「うるせえよ。ったく、お前らも暇人だな……あいつはなんだかんだ図太いぞ」

玄奘はとことん真面目だ。もちろん、悟浄とは違った意味で。
悟浄は素直すぎるゆえに問題のある【真面目】だが、玄奘は素直じゃないからこそ問題のある【真面目】だった。
だからこそ、説教ばかりしている自分さえも未熟だと、自身を律するのだろう。
つまりは、よほどの事がなければ次の日にはいつも通り。真面目ゆえに、根に持つこともできないのだ。
人を憎みきれない玄奘だから、何を言われても簡単にへこたれたりはしない。それは、悟空自身もいやというほどわかっていた。
(……めんどくさい奴)
泣いて諦めるような奴だったら、どんなにか楽だっただろう。
――そしてそんな奴だったなら、きっとどんなに頼まれようとも自分は旅に参加しなかった。
無理やり引っ張り出した張本人である玄奘が旅を諦めることは、悟空にとって【ありえない】ことだ。

「おーい、悟空。寝んなって」
「あー……?」
「まったく……。しかし、睡眠不足で倒れられても困るしな。明日きちんと玄奘様と話をするんだぞ」
八戒と悟浄の声が聞こえた気がするが、悟空は既にまどろみへと足を踏み出していた。
ゆらゆらと揺れる水面のように、ゆるかやな睡魔が襲ってくる――。

――と。

「…………っ!?」
「ぎゃー! なっ!? なんだよ! 水!?」
「冷た……こ、これは……」
突然、眼前で光が弾けた。冷水を浴びせさせられたような感覚に、悟空は飛び起きる。
隣で八戒と悟浄も同じく驚きの声を上げていた。どうやら、文字通り水をぶっかけられたらしい。
前髪からぽたぽたと水滴が落ちて、目に入る。乱暴に手で拭うと、服も盛大に濡れていることがわかった。
嫌な予感にゆっくりと顔を上げれば、やはりそこには見知った顔がある。
「玉龍!?」
「やっぱあんたか……! って、なんでオレらに水ぶっかけたわけ!?」
「なんとなく」
「あ、そ……。そんなことだろーと思ったけど」
白い衣服を身にまとった青年が感情薄く呟いた声に、八戒が脱力した。
無機質な声色なのに、彼がまとう力はひどく威圧的だ。

「あー……くそ、冷てえ」
悟空が濡れた前髪をかき上げながら、悪態をついた。【なんとなく】で水をかけられていたら堪らない。
普通の人間だったら涼むのにちょうどいいかもしれないが、こちとら死活問題だ。
風邪でも引いたら本気で死ぬかもしれないのに。

「というか、玉龍。玄奘様を一人にしたのか?」
悟浄が驚きの声を上げて、場の視線が玉龍に集まる。
「……人の気配、しないから。妖怪も」
「それにしたって、あんたが姫さん一人にするなんてな。珍しーこともあるもんだ」
「お師匠様がいるところじゃ、話せない。悟空に用、あったから」
「お前もかよ……。玄奘を傷つけるなってか?」

もう、疲れた。眠いし、服は濡れるし、面倒すぎる。何もかもが面倒だ。
三人目の来訪に、悟空は盛大なため息を吐いた。そろいもそろって暇人すぎやしないか。

「違う」

しかし、悟空には容易に想像がついていた玉龍の意図は、即座に否定された。
「お師匠様は、悟空に悪いことしたって言ってた。ただの八つ当たりだって」
「……あいつが?」
「よくわからない、けど……。それは悟空に伝えたほうがいいって思ったから」
「なんだそりゃ……」
珍しく心配するように瞳を曇らせた玉龍に、呆れた視線を投げかける。
八戒も悟浄も、悟空の反応を待っているようだった。

どいつもこいつも、おせっかいで、お人好し。
玉龍はよくわからないが、玄奘限定のお人好し――というと意味が崩壊しているが――とでも言っておこうか。
自分以外の全員が、【玄奘のために】危険な旅を続けている。
玄奘が自分だけに風当たりがきついというのも、悟空はうなずける気がした。
悟空だけ、この旅に望んで参加したわけではないからだ。

「ま、あいつが俺にうるさいのもその所為か……」
「あ、悟空。なんか変な勘違いしてっだろ」
「ああ?」
小さく呟いた悟空の言葉を、八戒が拾い上げる。
「姫さんはなー。あんたが旅に積極的じゃないから当たってるんじゃねーぞ」
「……意味がわからねえ。なんでそう断定できるんだよ」
「男の勘」
「はあ?」
「八戒の勘はともかく、俺もそう思うぞ。玄奘様はお前に無理強いしたいわけじゃない」
「……僕も、そう思う」
本当に、そろいもそろってなんなのだ。頭を抱えたくなる。
――けれど悟空はすぐに気づいてしまった。
彼らが悟空をかまうのは、何も玄奘のためだけではないこと。
言葉の端々から伝わってくるのは――悟空を仲間として受け入れようとしていることだった。

(……めんどい)

普段からまとまりがなくて、それぞれ好き勝手やって、それこそ自分だけじゃなく全員が玄奘を困らせているというのに。
こういう時だけはやけに結束力が高くなるから、面倒なのだ。そしてそれはきっと、玄奘の人徳なのだろう。

――確実に面倒な事態。けれど、なぜか悪い気分ではなかった。

「あー……めんどくせえ。わかったから、戻れ。お前ら」
「わかっているように思えないんだが……」
「めんどうって言っちゃってる時点でなー」
「悟空。意地、張ってる?」
「張ってねえよ。玄奘一人にし続けたら、また気を遣うだろ。あいつが一人でぐるぐる考え出すと、まともなことにならねえからな」
悟空の言葉に、八戒たちが顔を見合わせる。否定できない、といった面持ちだ。
「わかってるよ、あいつはバカ真面目なだけだ。……もう少し長い目で見てやる」
少しだけ険を解いて告げると、おせっかいな仲間たちは満足したように頷いた。
その後姿をかろうじて見送ってから、悟空はゆっくりと目を閉じる。


あたりには、静寂。気づけば夜も更けてしまった。



この旅を始めるまで、自分の周囲も、思考も、世界も、ずっと静かだった。
それを騒がしい日常に引っ張り出したのは「あいつら」だ。
賑やかなのも面倒なのもあまり好きじゃない。好きではない、が――。

夜になれば必ず、静寂が引き起こしてきた頭痛。
それが今、少しだけ和らいだ気がしたのは、きっと気のせいじゃない。

面倒なことを考える暇もないほど、面倒な事に巻き込まれる。
これは喜ぶべきか、嘆くべきか――――。

(ま、先は長いしな……)

どちらにせよ、それほど嫌がっていない自分が、一番面倒だった。



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