【ある秋の華空】



「うわぁ! 秋の花火大会なんて、僕初めてだよ。ねっ、円」
「そうですね。花火と言えば、夏のイメージが強いものですから。こんな時期に花火大会があるなんて知りませんでした」
「確かに珍しいよね。場所によっては、冬にやるところもあるみたいだけど」
「……っくしゅん! そなたたち、何故浴衣を着てこなかったのだ。花火は浴衣で見るものだろう」
「この寒さの中、ンな薄着で来ようと思えるアホはお前だけだ。時田」

夏の暑さもすっかり姿を消し、肌寒くなってきた秋の終わり。撫子たちは、都心から少し離れた場所で行われる花火大会に来ていた。
花火大会といえば、その多くは夏に催されるものだが今夜は珍しい秋の花火大会だ。季節外れの花火と祭り独特の高揚した空気が、CZメンバーたちの心を躍らせる。会場はすでにたくさんの人で溢れ返っていた。

「それにしても、すごい人ね。はぐれないようにしなくちゃ」
「今年はいつもより着くの遅かったからだろ。……予想通り遅刻してくる奴いたからな」

いつもは保護者付きとはいえ撫子と理一郎が二人で来ていた花火大会に、CZメンバーの皆で来ることに決まったのは先週の放課後のことだ。
始めは教室で鷹斗と理一郎の3人で話をしていたのだが、鷹斗の提案でどうせならと皆も誘うことになった。普段はメンバーに関わるのを嫌がる寅之助も、祭りは嫌いではないらしく珍しく参加をしている。

(――って言っても、鷹斗と終夜に引きずられて来たようなものだけど)

数時間前の待ち合わせの風景を思い出し、撫子はひとり苦笑した。

「とりあえず見物席まで行かないと。これ以上人が増えたら進めなくなりそうだからね」
「そうね。急がないと花火も始まっちゃうし」

花火を打ち上げるのは、会場となっている公園のずっと奥。湖のある場所だ。見物席は、そこから少しだけ離れた花火の見やすい高台にある。
まだ会場の入り口周辺にいた撫子たちは人ごみを掻きわけて先へと急ぐ。腕時計を確認すると、花火が始まるまでには少し余裕があった。これならぎりぎり間に合うだろう。

「屋台もたくさんあるな〜。うーん……どれを食べようかすっごく迷っちゃうよね!」
「央、食べ過ぎておなかを壊さないように気を付けてください。夏祭りに行った時も、屋台を全制覇する! と張り切って次の日寝込んでいましたから」
「何やってんだお前……。まあ、らしいっちゃらしいけどよ」
「うむ。私はあそこにあるリンゴ飴にするとしよう」

――しかし、そこはやはりCZメンバーだ。おとなしくたどり着けるはずもなかった。

「おい、お前ら。屋台は後でいいだろ。席の近くにもあるし、ここで行かなくても……」
「分かってないな〜、りったん! 屋台は数あれど、同じ味はふたつあらずだよ!」
「うむ。同じやきそばでも、その屋台によってソースの味、具、焼き加減など微妙に違うからな」
「言ってることはわからなくねえけど、ソレどうやって判断すんだ? 全部食うのかよ」
「……ということで、りったんさん。テンションの上がった央と殿さんに何を言っても無駄です」
「……はあ」

まとまりがないのは、いつものこと。今更驚くまでもない。

(……本当に、どこまでもマイペースだわ)



■■■ 鷹斗の場合 ■■■

「そんなわけで、僕は旅立つよ! アデュー!」
「は? 何がそんなわけなんだよ……って、おい央。引っ張るな。離せ……っ」
「央が行くのであれば、ぼくも共に行きます。いつ如何なる時も央の傍を離れるわけにはいきませんので。それでは」
「ふむ。皆行ったか……それぞれの行く道を目指して。ならば私も行こう。伝説のリンゴ飴を目指して……っ!」
「ちょ、ちょっと央、理一郎! 円に、終夜まで……」

それぞれが、好き勝手な方向へバラバラに散って行く。寅之助もいつの間にかいなくなっていて、その場には撫子と鷹斗のふたりだけが残された。
呆然と皆の背中を見送って鷹斗の方へと視線を向ければ、彼も撫子と同じように困ったように笑っていた。

「ええと……とりあえず、俺たちだけでも見物席に行こうか? みんな場所は分かってるんだし、後で合流できるよ」
「そう、ね……。そうしましょうか」

見物席の場所は既に説明しているし、万が一はぐれた場合にとあらかじめ決めておいた待ち合わせ場所もある。気が済めば戻ってくるだろう。そう言って笑顔を見せる鷹斗に頷いて、撫子は再び人ごみの先へと足を進めることにした。

「撫子、手。いい?」
「え? あ……」

きゅっと、優しいけれど力強く手を握られる。人ごみではぐれそうだから、と鷹斗が小さく呟いたのが聴こえたけれど、顔を上げて見つめれば彼の耳が赤く染まっていて、撫子は何も言えずに俯いた。
途中、人ごみに押され何度も転びそうになりながら、それでも鷹斗に手をひかれてなんとか見物席まで辿り着く。花火が始まるまでにはみんなも来るだろうとふたりで話をしていたが、結局誰ひとり間に合わないまま、大きな音と共に夜空を光が彩った。

「……結局、始まっちゃった」
「うん、そうだね。あ、見て撫子。すごく綺麗だよ」
「本当、綺麗だわ」

暗かった空に音を立てて、ひとつ、ひとつと色鮮やかな花火が打ち上げられていく。
打ちあがっては辺りを明るく照らし、大輪の花を咲かせ――けれど、一瞬で儚く消えていく。
夏に見る時と違い、晩秋の肌寒さや草むらから時折聞こえる虫の音が、一瞬で消えてしまう花火の儚さをより一層際立たせていた。

「……皆、ちゃんと見てるのかしら。終夜とか、屋台に夢中になってて気づいてなさそうだわ」
「でも、これだけ大きくて綺麗なんだからきっと見てると思うよ。ここからじゃなくても、見えそうだし」
「そうね」
「花火って夏のイメージが強かったけど、秋の花火もいいね。撫子と理一郎は、毎年来てるんだっけ?」
「ええ。実は、毎年楽しみなの。子供っぽいかもしれないけど花火が好きで……。小さい頃は、理一郎と庭で花火をしたりしたのよ。ガキじゃないんだから、とか言って最近は全然付き合ってくれないけど」
「理一郎らしいなあ。そういえば俺、あんまり花火で遊んだことってないかも」
「え? そうなの? 鷹斗なら自分で作っちゃったりしそうだけど」
「実験で花火もどきなら作ったことあるよ。でも、純粋に遊んだ記憶ってないかな」
「それなら、今度CZメンバー皆で花火をしましょうよ。きっと楽しいわ。……一部、花火を持たせたら危なそうなメンバーもいるけど」
「あはは。確かに、終夜とか央はすごくはしゃぎそうだなあ。理一郎あたりが苦労しそうだよね」
「ええ。……でも、楽しそう」

あのメンバーと一緒なら、きっと何をするのも楽しいだろう。そう思うと自然に笑みがこぼれた。
ふと、絶え間なく打ち上げられていた花火が小休止を打つように止まり、それと同時に賑やかだった周囲も静かになる。辺りには、すとんと夜の闇が落ちた。

「少し休憩かしら? ……それにしても、本当にみんな来ないわね」
「人が多いから、辿り着けないのかもしれないしね。俺たちもここに来るまで大変だったじゃない。それに、俺としてはちょっとだけありがたいし」
「え……?」

言葉の意味が分からずに、撫子は首を傾げる。しかし鷹斗はそれに答えず、にっこりと微笑む。どういう意味かと尋ねようとした顔を上げると、彼の肩越しに空へと打ち上げられていく花火が見えた。ぱあん、と大きな音が乾いた空に響いて、再び大きな花が咲く。それにつられて空に視線を戻そうとした時――。

「来年も、一緒に見たいな」

ぽつり、と。空を見上げながら鷹斗が呟いた。今までは家族や理一郎と来ていた花火大会だけれど、今日のように友人たちと来るのも楽しいものだ。撫子は、その言葉に頷いて笑顔を返す。

「ええ、また皆で来れたらいいわよね」
「皆で……か」

けれど、何故か鷹斗は複雑そうに笑う。

「鷹斗?」
「うん。今はそれでもいいや。…………本当は、君とふたりでって意味だったんだけど」

最後のほうは、花火の音にかき消されてわずかにしか聞こえなかったけれど。
――『君とふたりで』。そう、言われた気がした。

(私とふたりだけで花火を見に来たいってこと……?)

言葉の意味を理解して、撫子の頬は熱を持つ。花火に照らされた鷹斗の横顔も、心なしか紅い。気付けば繋いだままだった手のひらを、鷹斗がきゅっと握り直した。

(ううん、でも、聞き間違いかもしれないし……!)

けれど、聞き返すことはできなくて。花火の音で、聞こえなかったことにしてしまおうか。そう思い誤魔化すように空を見上げるけれど、夜空を彩る花火にも今は集中できそうにない。
――2人の小さな手のひらは、やはり繋がれたままだった。




■■■ 理一郎の場合 ■■■


「ねえ、理一郎。皆で来られて良かったわね。やっぱりお祭りは賑やかだと楽しいもの」

昔は互いの家族が一緒だったが、ここ数年は運転手に連れて来てもらってふたりだけで来ていた。
しかし、やはり祭りごとというものは大勢で来ると楽しみも増す。わいわいとはしゃぐ皆の姿を見ていると、毎年来ている祭りの風景がいつもと違って見えた。なんだか嬉しくなって自然と笑みが零れる。

「……そりゃよかったな」

けれど、そんな撫子に反して理一郎はどこか不機嫌な様子だった。撫子の言葉に、素っ気ない返事を返すだけでひとり早足で歩いて行ってしまう。

「え、ちょっと待ってよ理一郎」

慌てて後を追いかけるけれど、理一郎は歩みを緩めようとはせず――結局、ふたりは人混みの中で他のメンバーとはぐれてしまった。

「もう、はぐれちゃったじゃない。人が多いから携帯も繋がりにくいし……」
「集まる場所は分かってるんだ。平気だろ」
「……それもそうね」

とりあえず進めば合流することができるだろう。そのまま、理一郎とふたりで花火の見物席を目指す。――が、人が多いせいで思うように進むことができない。進もうとしては人の波に押し戻されて、また進もうとしては押し戻される。それを何度か繰り返しているうちに、花火は始まってしまった。

「花火……始まっちゃったわね」
「ああ」

空にはひとつ、またひとつと花火が打ち上げられていき、その度に周囲からは歓声が上がる。
撫子と理一郎は、仕方なく足を止めると道の端に寄って花火を見ることにした。
いつもの場所よりはずっと遠いけれど、たまにはこうして屋台の近くでお祭り気分を満喫しながら見るのも良いかもしれない。

(屋台か……そういえば、最近は花火を見るだけで全然見てなかったわね)

小さい頃は祭りに来るたびに、理一郎とふたり、はしゃいであちこち覗いて回ったものだ。ふいに、懐かしさがこみ上げてくる。
出店ひとつにでも、思い出はたくさんあった。金魚すくいをやったこと、お面を買ってもらったこと。買ったばかりのリンゴ飴を理一郎が落として泣きだしたこと。
懐かしい思い出に、あたたかい笑みが零れる。それを見た理一郎は、不機嫌そうに眉根を寄せた。

「……どうせ、くだらないこと思い出してるんだろ」
「あら、くだらなくなんてないわよ。理一郎との大事な思い出を思い返してたの。理一郎が、買ったばかりでふわふわだったわたあめをお姉さんにぎゅうって小さく固められちゃったこととか」
「……………………そんなこと思い出すな。かなりショックだったんだぞ、あれは」
「ふふ。ショックでしばらく呆然としてたものね。……ねえ、理一郎。せっかく屋台の近くにいるんだし、久しぶりにお祭りらしいもの何か買わない?」
「べつに、いいけど。何買うんだよ」
「うーん、そうね……」

右にも左にも、ずらりと並んだ出店たち。どの屋台からも、客寄せの威勢の良い声と食欲をそそる匂いが漂ってくる。

(あ……)

「かき氷、食べたいな」
「この寒いのにか? 物好きな奴。……食べた後で寒いとか言うなよ」
「う……大丈夫よ。多分。うーん……何味にしようかしら。なんだか昔より種類、増えてない? 理一郎はどうする?」
「お前、昔からそうやって悩んだって、結局いちご味しか選ばないだろ」
「なによ、理一郎だって結局ブルーハワイを選ぶくせに」

そうして言い合いながらふたりが買ったのは、やはりいちごとブルーハワイだった。

「やっぱり、確実においしいものを選ぶなら定番がいちばんよね」
「……まあな」

綺麗な赤色の氷を小さなスプーンですくって口に含むと、あっという間に溶けて舌の上にシロップの甘さだけが残る。茶屋などで食べるものとは違う、祭り特有の味だ。

(そういえば、小さい頃はかき氷を食べるたびにシロップで舌の色が変わったのを見せ合って遊んだっけ)

さすがに高学年ともなれば、そんな遊びはしないけれど。

「理一郎、そっちもひとくち頂戴」
「……は?」

理一郎は、撫子の言葉にきょとんと目を見開いた。互いにべつのものを買って、交換して味見する。これも、小さな頃からよくしていたことだ。今更驚くことではないはずなのだけれど。

「いちご味、嫌いだった?」
「そうじゃなくて……お前な、小さなガキじゃないんだぞ。そんな軽々しく……」
「軽々しいって、何が?」

幼い頃であれば、互いに意識せずにしていたことでも、中学を目前とした時分ともなれば変わってくる。いくら幼なじみとはいえど、異性として撫子を意識し始めた理一郎にとっては、軽々しく頷くことはできなかった。
けれども撫子はそれには気付かず、目の前で視線を泳がせる幼なじみに首を傾げている。

「……はあ、もういい。……ほら」
「あ、うん……?」

何故か重いため息とともに、ブルーハワイで綺麗に染まったかき氷が差し出される。

「鈍い奴。……オレだけが意識してるとか、馬鹿みたいだろ」
「え?」

呟かれた言葉に、口に運びかけたスプーンを持つ手が止まる。

「意識、って…………」

再び、かき氷と理一郎とを交互に見つめて考える。そうして今度は、彼の動揺の意味を明確に理解した。

(意識、とか。今更そんなこと……だって、家族みたいなものじゃない。私達)

そんな風に言われてしまっては、どうしたら良いのかわからない。気まずさを誤魔化すように、撫子はカップの中の氷をスプーンで何度も掻き混ぜる。
そのまま、しばらくお互いに目を合せることができずに、頭上に打ちあがる花火を見ることも忘れて黙っていた。

「……おい、花火。もうすぐ終わるぞ」
「え、もうそんな時間?」

理一郎の言葉に、俯いていた顔を上げると――ぱあん、と大きな音が鳴って、一層大きな花火が夜空に上がった。
いつの間にか終盤に差し掛かった花火は、クライマックスを迎えるように連続して空へと打ちあがって行く。

「綺麗……」
「ああ、そうだな」
「結局合流できなかったけど、みんなもちゃんと見れたかしら」
「さあな。花火より出店にはしゃいでるんじゃないか」
「ふふ、そうね。……ねえ、理一郎」
「なんだよ」
「来年もまた、一緒に来ようね」
「わざわざ時期外れの、しかもこんな離れた場所でやる花火大会になんて一緒に来る奴なんて、お前くらいしかいないだろ」
「……うん。また来年も、一緒に見ましょう」

にっこりと微笑んで理一郎を振り返ると、花火を見上げるその横顔は珍しく柔らかい表情をしていた。





■■■ 央&円の場合 ■■■


「お祭りの醍醐味と言えば、やっぱり出店だよね。ここでしか味わえない雰囲気をめいっぱい楽しもう! ねっ、撫子ちゃん」

いつになくハイテンションな央が、びし、と撫子の目の前で人差し指を立てた。ぱちくりと目を瞬かせている撫子の腕を掴むと、央は人混みの中へと走り出す。

「え……っ、ちょ、ちょっと央? 引っ張らないで……っ」
「祭りでの央はいつも以上にハイテンションです。人の言葉になど耳を貸しません。撫子さん、諦めて央の気の済むまで付き合って下さい」
「ほらほら、行っくよ〜!」

あっという間に鷹斗達から引き離されて、央と円に連れられるまま、撫子はあちこちの屋台を見て回ることになった。
ふたりは器用に人混みを掻きわけ、屋台を端から端へと移動する。たくさんあった屋台をほぼ回り終える頃には、花火はすっかり始まっていた。
そうして今、撫子の目の前には到底食べきれなそうな量の食べ物を抱えて満足そうに微笑む央。と、それにつられるようにいつもより少し楽しそうな円がいる。

「たこ焼きに、焼きそば、焼きもろこしにイカ焼きお好み焼き……チョコバナナにわたあめ、リンゴ飴……ねえ、これ全部食べきれるの?」
「3人いればなんとかなるんじゃないかなっ! 食べきれなかったら、鷹斗くんたちにも手伝ってもらえばいいし。みんな晩ご飯まだだったよね」
「これも央が一流の料理人になるためです。皆さんには謹んで協力してもらいましょう」
「お祭りの出店も対象なのね……」
「うんうんっ! 出店の食べ物っておいしいよね。味もあるけど、やっぱりこの雰囲気があってこそかな。昔、お祭りで食べた味を再現しようと思って色々作ってみたんだけど……味が近づいてもなんっか違うんだよね。やっぱりこのワクワク感は再現できなかったもん」

なるほど、と。相変わらず料理に関してはまともなことを言う央に納得しながら、撫子は差し出されたたこ焼きをひとつ頬張る。彼の言うように、祭りの屋台には気取ったレストランでは味わえない楽しさやおいしさがあった。

(あ、花火……)

ふと見上げれば、空には色とりどり綺麗な花火が打ちあがっていた。傍らの英兄弟といえば、目の前の食べ物にすっかり夢中で花火など全く目に入っていない。花より団子、というところか。

(もう少し、横にずれた方が見やすいかも……)

せっかくの花火大会だ。食べ物だけでなくやはり花火も満喫したい。そう思って、人の少ない道の端に移動する。

「きゃ……っ」
「おっと?」
「あ、ごめんなさい」

その途中、近くにいた大学生らしきグループにぶつかった。

「あれ、小学生? かわいー。ひとりで来てんの? エライネー」
「あれじゃね? 親とはぐれたとか?」
「あらら、それじゃおにーさんたちと一緒に花火見るー?」

お酒が入っているのか、大学生たちはわいわいと騒ぎながら撫子を囲む。酔いからくる軽いノリでからかっているだけなのだろうけれど、あまり良い気分ではない。
いつの間にか、円たちとも距離があいてしまっていた。

「あの、すみませんでした」

もう一度、ぶつかったことを謝ってさっさとその場を立ち去ろうとしたとき。ぐい、と突然横から誰かに腕を引っ張られた。同時に、不機嫌そうな声が耳元で聞こえる。

「このひとに、何か用ですか」
「円……?」

腕を引いたのは、円だった。彼は撫子を庇うように大学生の前に立つ。睨むような円の視線に、大学生たちは苦笑して距離を取った。

「あはは、ごめんごめん」
「子供に絡むなよな、お前ら。ごめんねー、デートの邪魔しちゃって」
「小学生カップルかー。かわいーねー」
「カッ……、ち、違います!」
「おやおや、照れちゃって」
「……………………」
「だから、あんま子供をからかうなって。ほら、行くぞ」

ごめんね、と謝りながら去っていった大学生たちの背中が見えなくなると、円は小さくため息をついた。

「ええと、ごめんなさい。円。ありがとう」
「……ひとりでうろうろしないでください。あのひとたちはマシでしたが、こういう祭りの場ではタチの悪い人間に絡まれやすいです。ぼくは央から目が離せないのですから、あなたが勝手にひとりでどこかに行って危ない目に遭うのは困ります。……あなたは、女性なんですから」

そう、一気に言い募った円に思わず目を瞬かせてしまう。

「……ごめんなさい」

央から目が離せないと言いつつ、それでもその央を置いて探しに来てくれた。心配してくれたのだ。それも、迷子になったら困るだとかそういう子供扱いの心配ではなく、ひとりの女の子として。

「撫子ちゃん、大丈夫?」
「ごめんなさい、心配させてしまって」
「ううん、僕らも屋台に夢中になりすぎちゃってごめんね」
「気にしないで。私が勝手にふたりから離れたんだから」
「そうです。央が謝ることではありません」
「またそんなこと言って。あのね、撫子ちゃん。円ってばこんなこと言ってるけど、撫子ちゃんの姿が見えなくなった時すっごく焦って心配してたんだよ」
「え……」
「央、余計なことは言わないでください。それに、べつに焦ってなんていません」
「はいはい。それじゃ、そろそろ鷹斗くんたちに合流しよっか」
「え、ええ……」

いつかの下校時のように手を差し出されて、央と円と3人手を繋いで歩く。ちらりと隣の円を見ると、視線がぶつかった。

「……言っておきますが、先ほど央が言っていたような事実はありませんから。央があなたを探して来いと言ったので探しに行っただけです」
「そう……わかったわ。ありがとう」

素直じゃない物言いにも、笑みが零れてしまう。そう言う円の頬が、いつもより紅かったからだ。
――それはおそらく、夜空を彩る花火のせいではない。







■■■ 寅之助の場合 ■■■


「あら……?」

(トラの姿がないわ)

辺りを見渡すと、人混みの向こうに寅之助の後ろ姿を見つけた。彼が歩いているのは、花火の見物席とは逆方向だ。道を間違えているのか、それとも面倒だとひとりどこかへ行くつもりなのか。

「トラ、どこ行くの? そっちは花火とは逆方向よ」
「オレはべつに花火目当てに来たわけじゃねえし。射的とか色々遊ぶモンあるだろ。なんなら、お前も来るか?」
「え……そう、ね」

(たまには、そういうのもいいかも)

花火なら毎年見ているし、たまには出店をゆっくり見て回るのも良い。昔は屋台を見てはしゃいでいたけれど、小学校高学年にもなるとなんだか子供っぽい気がして少しずつ足が遠のいていたのだ。

(でも……正直、お祭りの出店ってワクワクして好きなのよね)

それに、射的にも少し興味がある。祭りでの遊びといえば、撫子も理一郎もやるのは金魚すくいやヨーヨー釣り程度だ。それは家族も同じで、射的をやる人間などこれまで身近にいなかった。寅之助の誘いに頷いて、撫子は初めての射的に挑戦することにした。

「おい、逆だ。貸してみろ」
「え?」

撫子が銃口にコルク弾を詰めていると、それを見ていた寅之助が違うと言って銃を取り上げる。入れかけた弾を取りだすと、撫子が入れていたのとは逆の向きに直して、再び銃口に詰めた。

「店員さんに教わったのと違うわよ?」
「こっちのが撃った時に威力上がって飛ぶんだぜ」
「ふうん……?」

(よく分からないけど……裏技、とかかしら)

「テレビでは見たことあるけど、これって難しいの?」
「あー……まあ、コツ掴むまでは結構かかるかもな。お手本見せてやるから、よく見とけよ」
「ええ、わかったわ」

屋台では、既に何人かの客が挑戦して獲物を得られずに肩を落としていた。テレビで見たときには、自分にもできそうだと思ったものだけれど、意外にも難しいのかもしれない。けれど寅之助は、狙いを定めるとあっさりと獲物を倒してしまった。周りの観客たちから、小さく歓声が上がる。

「すごい……」
「や、ちと腕鈍ったな」

鮮やかに倒しておきながら、寅之助は少し悔しそうに首を捻った。撫子から見れば、じゅうぶんすぎる腕前だが彼は納得できないようだ。

「そんじゃ、次。お前の番だぞ」
「え、ええ……」

(狙うのは……あ、あのキーホルダー、レインに少しだけ似てるかも。あれがいいかしら)

「で? どれ狙うんだよ」
「あの右端にあるウサギのキーホルダーがいいかなって」
「ふうん。んじゃ、銃構えろ」
「え、こ、こう?」

先ほど寅之助がやっていたのと同じように、銃を構えてみせる。銃の重さで、想像していたよりもバランスが取りづらい。

「違うって。もうちょい腕伸ばせ」
「腕?」
「や、そうじゃねえ。つか、銃の持ち方おかしいぞ」
「持ち方? こうじゃないの?」

慣れないことに戸惑って何度も銃を直していると、ふいに背中がふわりとあたたかくなる。後ろから抱きすくめるようにして、寅之助は撫子の手に自分の手を重ねてきた。

(……え?)

「あれを狙うなら、銃口はもうちょい下だな。んで、弾が右端に当たるように狙いを定めて――」

耳元で、寅之助の声が聞こえる。吐息が撫子の耳をくすぐった。

(えええ? ちょ、ちょっと……っ、近い!)

「で、撃つ時には腕ずらすなよ。そうすりゃ落ちるぜ。……って、おい聞いてんのか?」
「聞いて、ます」

それだけ返事をするのがやっとだ。寅之助の説明など、正直なところ全く頭に入ってこなかった。無遠慮に顔を覗きこんでくる寅之助に、その近さに、撫子の心臓はどきどきと早鐘を打つ。
それでもなんとか集中して、教わった通りに銃を構え銃口を向け――思いきり、引き金を引いた。

「あ、当たった……」

弾は、見事に狙っていたキーホルダーを撃ち落とした。

「初めてにしちゃ、上出来じゃねえの」
「え、ええ。トラが教えてくれたからね……ありがとう」
「おー」

自分が景品を撃ち落としたときよりも嬉しそうに微笑む寅之助に、撫子の胸は再び大きく音を立てる。
そしてこれもまた、無意識なのか。

「そんじゃ、次はあっちな。ほら、行くぞ。今夜は、オレ流の祭りの楽しみ方を教えてやるよ」

そう言って目の前に差し出された手に、撫子は戸惑いながらもそっと自分の手を重ねた。寅之助は、そのまま指をからめると撫子の手を引いて歩き出す。
周りの音が聞こえなくなるくらい大きな自分の心臓の音に頭上で打ちあがる花火のことも忘れて、撫子は寅之助に翻弄されながら季節外れの花火大会を過ごした。





■■■ 終夜の場合 ■■■


撫子の前を歩いていた終夜が、つと足を止める。

「終夜?」
「すまぬ、撫子。そなたたちと共に行くのはここまでだ。私には担う責務がある。あそこにいる金魚たちをこの手で救ってやらねばならぬのだ……っ!」
「え? ちょ、ちょっと終夜……!?」

言うが早いか、終夜は踵を返して人混みの中へ走り出した。それを慌てて追いかける。
鷹斗たち皆に何も言わずに離れてしまったのは気になったけれど、花火を見る場所は決まっている。おそらく後で合流できるだろう。それよりも今は、終夜をひとりにしておく方が心配だ。

(学園の中でさえ迷子になるくらいだもの……知らない場所で道に迷ったら、戻れなくなっちゃいそう)

人の波に押されながらようやく見つけた終夜は、先ほど自ら宣言していた通り金魚すくいの露店の前に座っていた。
水槽の中の金魚を、じっと覗き込むように見ている。

「む? 撫子、そなたも来たのか」
「あのね……なに呑気なこと言ってるのよ。急に走り出すからびっくりしたじゃない」
「そうか、それはすまなかった」
「……全然すまなそうじゃないわね。べつにいいけど。それで、終夜は金魚すくいがやりたかったの?」
「うむ。こう見えて私は、金魚すくいが得意なのだぞ」
「へ、へえ……そうなの」

満面の笑みで自信満々に言われても、普段の終夜からは全く想像がつかない。うまくすくえるどころか、終夜自身が水槽の中に落ちてしまいそうだ。
そんな不安に駆られながらも、終夜に薦められて撫子も金魚すくいをすることになった。

「はい、それじゃ2人分。がんばってすくってね」
「うむ」

店員からお椀とポイを受け取ると、終夜の顔つきはいつになく真剣なものに変わる。

(あら……?)

始まる前は本当に大丈夫なのかと思っていたけれど、終夜は意外にも手際良く金魚をすくっていく。
1匹、また1匹と滑らかな手つきで水槽からお椀の中へと金魚をすくい上げた。

「……すごいわ、終夜。本当に得意だったのね」
「む? そうか、すごいかっ!」
「え、ええ……」
「昔、【金魚すくいの極意】というのを習ったことがあってな」
「【金魚すくいの極意】?」
「うむ。そなたにも伝授しよう。まずは、こうしてポイを一度水に濡らしてから――」

撫子に褒められたことで、すっかり気を良くした終夜は、更にペースを上げて金魚をすくい上げていく。本当に、普段のぼんやりとした様子からは想像ができないくらいに素早く、的確に、それでいて優しく金魚をお椀の中に入れる。いつの間にか、お椀の中は今にも溢れるほど金魚でいっぱいだった。ふと気になって店員へと視線を向ければ、さすがに顔をひきつらせている。

「しゅ、終夜、すごいわ。すごいんだけど、さすがにちょっと取り過ぎだと思うの。もういいんじゃないかしら……」
「何を言うか。途中で舞台を降りることはできぬ。私がこの者たちを救ってやらねば、誰がやるというのだ……っ!」

(どうして無駄に熱い展開になってるのかしら……)

その後、お椀から本当に金魚が溢れて店員さんから止められるまで、終夜は金魚をすくい続けた。
――けれど、持ち帰ることのできる金魚の数に上限があるということで、結局終夜の手に下げられた水入りの袋の中の金魚は7匹。ふたつ袋をもらったが、少し狭そうに袋の中で泳いでいる。

「救うことができたのは、結局7匹だけか……」
「7匹もすくえれば、じゅうぶんじゃない。それより、終夜の家に金魚を入れる水槽なんてあるの?」
「おお、忘れておった。だが、問題はない。バスタブに入れれば良いからな」
「……なるべく早く、水槽を買いに行きましょうね」

むしろ、家にある水槽を持って行こうか。そう思ってため息をつく。このままでは、本当にバスタブの中で金魚が泳ぐことになるだろう。

「7匹か……。よし、こやつらに名前をつけるとしよう。ちょうど7匹だぞ」
「ちょうど? ……ああ!」

彼の言わんとしていることが分かって、撫子はつい笑った。今日ここに来たメンバーと同じだけの数だ。

「この小さいのが理一郎、目がくりくりと可愛らしいのはそなただな。先ほどから一緒に泳いでいるのが兄と弟で……む? ……おお、撫子。見ろ、花火が綺麗だぞ」
「え?」

ふいに足を止めた終夜が、そう言って空を見上げた。金魚すくいに夢中になってすっかり忘れていたけれど、本来の目的は花火だったのだ。

(そういえば、皆に何も言わずに来ちゃったんだったわ。……心配してるかも)

やはり一言でも声をかけてくるべきだったかもしれない。なるべく急いで合流しようと、終夜を振り返る。――と、彼らしからぬ悲哀を滲ませた横顔で、空を見上げていた。

「晩秋の花火、か。……秋の夜は寂しいものだが、こうして夜空に大輪の花が咲くのは良いものだな。寂しさを紛らわすには、丁度良い」
「終夜……?」

終わってしまえば、また、寂しくなる。そう呟いた終夜が本当に寂しそうで。胸のあたりがどうしてか、きゅうっと切なくなった。

「しゅ……」

名前を呼ぼうとした時、

「……っぶえっくしょん!!!!!!」
「……………………」

盛大なくしゃみが、ふたりの間にあった物悲しい雰囲気を吹き飛ばした。
冬も近づいた晩秋の夜は、吹く風も冷たい。終夜のように浴衣なんて着ていれば、もちろん寒いだろう。

「浴衣なんて着てくるから……。風邪ひいちゃうわよ?」
「むう。しかし、花火といえば浴衣。それが日本の文化であろう」
「否定はしないけれど、季節を考えましょうね」
「そなたの浴衣姿も見たかったのだが」
「え、私?」
「うむ。そなたは浴衣が似合いそうだ。この髪も、きっと浴衣に映える」

するり、と。終夜の指が、撫子の長い髪を絡めとる。一瞬だけ首筋に体温の低い指が当たって、その冷たさに撫子は小さく肩を揺らした。

「こうして長いままでも良いが、やはり浴衣に合わせるのであれば結った方が良いか」
「しゅ、終夜……?」

無意識か、意識的なのか。距離を詰めてきた終夜に、撫子の胸はどきりと大きく音を立てる。
すぐ傍に澄んだ空のような終夜の瞳があって、どこに視線を向ければいいのか分からずに目を逸らした。

「さ、さすがに秋には着れないわ。寒いもの。終夜くらいよ、こんな時期に浴衣なんて着るの」
「そうか。では、来年はふたりで浴衣を着てどこかの夏祭りに行くとしよう。夏ならば問題はないだろう?」
「え、ええ。そうだけど……って、え? ふたりで?」
「うむ。では約束だ」

終夜はそう言って微笑むと、撫子の小指に自分の小指をからませる。ひやりとした終夜の指の感触が、やけに存在感があって。

「他の者たちには、内緒でな」

終夜の肩越しに綺麗に打ち上げられた花火を、俯いてしまった撫子は見ることができなかった。





END.


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